療養所を再現したジオラマを体験
こうして姿も患者になった子どもたちは、いよいよ療養所の入り口までやってきました。家族との別れです。
学芸員・牛嶋渉さん
「ハンセン病療養所は、ハンセン病にかかったら絶対入らなきゃいけないと法律で決められていたんですね。なので、家族とお別れするのが嫌だと言っても、いやいや法律で決まっているのだから絶対入りなさい、という形で療養所に入れられました。ここに入る人は、ハンセン病になっている人たちだけです。ということで、ご家族の方とはここでお別れです。じゃあ振り返って、お父さんお母さんにお別れを言いましょう。さようならー」

次に子どもたちがやってきたのは、昭和3年(1928年)に建てられた男子寮「山吹舎」の雑居部屋を再現した実物大のジオラマです。12畳半の広さに8人が生活する部屋です。将棋を指す人、本を読む人、ぼんやり外を眺める人・・・さまざまです。子どもたちはジオラマの中の人たちの間に入って、生活の様子を間近に観察しました。

過酷な隔離生活、そして社会に差別・偏見が残った
続いて、子どもたちは「患者作業」と呼ばれた強制労働の説明を受けます。
学芸員・牛嶋渉さん
「皆さん、病気を治すために入ってきました。けれど療養所では、入院しているのに仕事をしなければいけなかったんです。病院の中を工事したりとか、いろんな仕事があったんだけど、すごく大変な仕事をしています。体の具合が悪い時にこういう大変な仕事をしたらどうなると思いますか。余計に悪くなりますよね。ハンセン病の症状の中には麻痺というものがあり、痛いとか冷たいとか、その部分を感じないという症状があります。なので、すごいケガをしていたのにそれを気づかずに放置してしまった。病気とは関係ないお仕事によって、自分の体がより悪くなってしまう人がたくさんいたんですね」

さらに、ルールを守らない患者を閉じ込める真っ暗な「牢屋」を再現したジオラマにも入って、当時の患者が置かれた環境を体験しました。
学芸員・牛嶋渉さん
「ご飯も栄養があるものをたくさん食べられたわけではありませんし、お仕事もしなきゃいけない。知らない人同士で暮らす中でのストレスとかもたくさんありました。そういった生活の中で『こんな生活が嫌だ』って療養所から逃げ出す人だったりとか、決まりを守らない人、職員の言うことを聞かない人もいたんですね。そういう人は、療養所の中にあった牢屋に入れられました。特に群馬県にあった施設の牢屋は本当に最悪の環境でした。この牢屋で多くの人が亡くなってしまいました。今日は特別に皆さん実際に中に入っていただきます。ここは本当に暑いし寒い場所でした。しかも暗い。明かりはもうここからしか入ってこないので、今昼なのか夜なのかよく分からない場所でずっと暮らさなきゃいけなかったんですね。だんだん精神が弱ってきて、壁を見ると『ごめんなさい、出してください』という風に書いた人もいました」
当時の療養所は、患者が病気を治して社会に戻っていくための施設ではなく、囚人同様の扱いを受け、そこで死んでもらうための場所だったということです。病気が完全に治るようになっても、入所者のほとんどは療養所の中で一生を終えています。隔離を定めていた「らい予防法」は1996年に廃止されましたが、社会には偏見や差別が残りました。
一連の体験を通じて子どもたちに伝えたいことについて、学芸員の牛嶋さんはこう話します。
学芸員・牛嶋渉さん
「昔、このハンセン病という病気になったからという理由で施設に閉じ込められて、ひどい環境の中で一生を終えていく人というのがたくさんいました。今日はみんなにそういった人々の気持ちを少しでも体験してもらえたかな、というふうに思います。やっぱり病気になったからって、人が人らしく生きられないような環境にしてやれとか、そういうことは絶対に起こしてはいけないよねということを分かってほしいと思います。この悲劇を二度と繰り返さないために、私たちがしなきゃいけないことは何なのか、お家に帰ってお父さんお母さんと話し合ってもらえればなと思います」