今も残る…戦死した学徒の手紙

京都大学から出陣した学徒たち。秀村さんは海軍に入隊し、魚雷艇部隊に配属されました。しかし戦争末期、アメリカの本土攻撃が迫る中、無謀な作戦に加わった学徒も多くいました。
(京都大学 西山伸教授)「訓練中に家族に手紙をたくさん出していますので、ご家族の方がその手紙を大切に保管されていた」
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京都大学経済学部に在籍していた時岡鶴夫さんの手紙があります。
【時岡鶴夫さんの手紙】「どうか第二の国民達を立派に育てて下さい。そして大きくなったら叔父ちゃんはえらい人だと教えて下さいね。日本は必ず勝ちます。さよなら」
スポーツ万能だった時岡さん。1945年5月14日、海軍の特攻で戦死しました。
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また、生き残った学徒にも話を聞くことができました。京都大学の学生だった岩井忠熊さん、100歳。海軍の「震洋」と呼ばれる特攻隊に配属されていました。爆弾を積んだベニヤ板の小さいボートで敵艦に突っ込む作戦でした。
(京都大学元学徒 岩井忠熊さん)「人間を消耗品みたいに使う。1人や2人戦争で死んでもね、当たり前じゃないかという空気があるわけですよ。自分を大事にしようとはこっちも考えていなかった。そういうのに流されていたわけですね」














