戦況が悪化した日本軍は、1945年1月、ボルネオ島の東海岸にいた部隊を、未開のジャングルを通り、西海岸に集結させることを決定。
移動を命じられたのは民間人を含む1万人から2万人と言われ、東部のサンダカンに収容されていたオーストラリアとイギリスの捕虜=2400人余りも対象になりました。
飢えやマラリアなどの病気で日本兵などの半数近くが死亡。
隊列から遅れた捕虜は銃殺もされるなど、ほぼ全員が犠牲になり、捕虜の内、生き残ったのは脱走した6人だけでした。
ディックさん: 「私は何年もの間、あの場所で何が起きたのか理解しようと努めてきました。なぜあれほど多くの人たちが意味もなく死んでいかなければならなかったのか」
「死の行進」の歴史を調べ始めたディックさんは、長野県上田市の元兵士、上野逸勝(いつよし)さんの手記を見つけて家族のもとを訪問。
マラリアの脳症で叫び出す人や、故郷を思いながらジャングルで死んでいく人など、日本の兵士もまた、劣悪な状況に陥っていたことを知りました。

ディックさん: 「上野さんの本には、ほかの本にはない生々しい経験が書かれていました」
オーストラリアでは、加害国である日本側の事情など知る必要はないという遺族もいます。
それでもディックさんは上野さんの手記を英訳するなど、お互いの理解につなげようと努めてきました。
この取材の翌年、病気で亡くなったディックさん。
それまでの調査を500ページに及ぶ本にまとめていました。