東京都豊島区にあったスガモプリズンで最後に死刑執行が行われたのは、1950年4月7日。執行された7人のうちの一人、山形市出身の幕田稔大尉は、沖縄の石垣島におかれた海軍の特攻・震洋隊の隊長だった。出撃なく終戦を迎えた幕田は、石垣島を空襲していた米軍機搭乗員の処刑に加わったとして、戦後、BC級戦犯として横浜裁判にかけられ死刑となった。二回目の再審の結果が出たあと、担当弁護士から山形の母へ上京をすすめる葉書が届いたー。
死刑確定 至急ご上京を
石垣島で撃墜された米軍機の搭乗員3人が捕らえられ、その日のうちに殺害された「石垣島事件」では、戦犯裁判で元日本兵41人に死刑が宣告された。1回目の再審で28人が減刑されて、死刑囚は残る13人となっていたところで、二回目の再審の結果が発表された。1950年3月28日、報道された内容は、さらに6人が減刑されたものの、幕田稔大尉ら7人は死刑が確定したというものだった。そのことを知った幕田の担当弁護士、金井重男は山形の幕田の家族へ葉書を出した。
<金井重男弁護士から母トメへの葉書 1950年3月28日>
幕田トメ様ご一同様
フタをあけたら、減刑は六名だけで、腑に落ちぬ人も入っておりました。
最終的判定であって見れば、残された七名の方の判決はこれで一応変更できぬこととなりました。今後の問題は、この判決の「執行」と、「恩赦」にあると思います。しかし、最悪の場合も覚悟せられねばならないと存じます。至急、ご上京になり、ご面会になられておかれては、いかがかと存じます。
今後は他の事件の方々とも一緒になり、執行の中止につき、嘆願するよりしか方法がありません。一縷の光明に、期待をかけて頑張りますが、更に、ふるいにかけられた後ですから、益々、一応は窮地に追込まれて来た形になっています。この事件としては一応これで結末がついた訳ですが、更に、戦犯全体について考えられるべき事が、なお多く残ってはいると思います。 3月28日
















