社会に参加するために必要なことを「学び」、「実行」する

「スコーレ・ムーンライト」はJR高崎線北鴻巣駅から歩いて15分ぐらいの一軒家を改修しています。近くには田んぼや畑、荒川の土手もあり、遊ぶ場、体験の場もいろいろありそうな場所です。来る子供、若者のことをここでは「ラーナー」と呼びます。普段の様子について、三井さんはこう話します。

「スコーレ・ムーンライト」主任 三井昌樹さん
「スコーレ始まってもう4か月ほどなんですけど、毎日が普段であり、でも逆に毎日が特別だったというか。きょうは『学びの時間』を、例えば保護者とか、スコーレに関わる大人も呼んで、みんなで学び合う会みたいなものをちょっとやってみようと。そもそも、学校の勉強とかが苦手で、ある種、つらい思いしてここに来てる、というラーナーもいる中で、思いっきり授業みたいな雰囲気は作った一方で、ただ、そういう大人が、逆に真剣に学んでる様子を見るっていうのも、それはそれで学びなのかな」

響カフェ店長の飯島さんの兄、飯島学さんも浦和商業定時制出身で「太鼓集団響」のメンバーで、スコーレのスタッフです。飯島さんは

「スコーレ・ムーンライト」スタッフ 飯島学さん
「浦和商業定時制は一貫して自由な場所でした。先生、大人がほとんど介入せず、自分たちで考え、決め、作っていき、振り返る場でした。人が社会に参加するために必要なことがそこにはありました。スコーレもそういう場です」

浦和商業「定時制」は、飯島さんが卒業した後、廃止になりました。在学時の太鼓部の活動が、「太鼓集団響」となり、浦和商業定時制のような場をなくしたくない、という思いが、響カフェや「スコーレ・ムーンライト」につながっています。

「スコーレ・ムーンライト」スタッフ 飯島学さん
「太鼓集団響は、国内外といろいろ演奏活動してきましたが、この辺りでの公演やイベントの場合、中高生たちがスタッフとして、関わってくれるっていう場面が多分にあったんですね。機材が重たいので、そういうところで力仕事を率先して手伝っていただいたりとかですね。活動の10年で、僕たちが支援してると言いながらも支えられているっていう場面がけっこうありまして、感謝しているところと、何かそこが社会的な接点であるとか、自分が社会の主役になっていくっていうところの、何か一つ道筋であるとかきっかけになってくれればいいななんて思いながら、時間を共有しています」