満洲に渡る前「ワンピースを買って着せてもらった」
1931年、日本が満洲事変を起こし支配下に置いた中国東北部の「満洲」。

もともと、東北などの豪雪地帯から仕事や土地を求め自発的に移り住む「緩やかな」移住政策がとられていましたが、戦争が激しくなると性質が変わっていったと専門家は指摘します。

東北学院大学 伊藤大介助教:
「(国内では)物資不足、物不足が顕著になってしまうので、そういった中で職業を変える“転業移民”を国は大々的に展開していくことになる。戦争にとって不要不急の職業の人たちを仙台などで集めて満洲に農民として送って日本の食料増産に役立たせようという動きがあった」

自営業や職人たちを農家に転業させてまで満洲に移住させる政策を国は推し進めたのです。食料増産に加え、現地の実効支配を強める狙いがありました。当時の史料には移住者1人あたり最大90円、政府からは千数百円を支給するとの記載が。今でいえば100万円程度を手にしたことになります。

菅田恒子さん:
「(満洲に)行くときに妹と私は河原町の菅原屋と言ったかな、そこでワンピースを買って着せてもらったのを覚えている」