92歳の菅田さん「私は幸せだと思います」

きょうだい3人で帰国できたのは終戦翌年。しかし、間もなくして2歳下の弟・芳男さんも病で亡くなりました。

菅田恒子さん:
「脊髄カリエスという病気になって。それで栄養も取らないといけないが、そのころ栄養なんてね」

菅田恒子さん:「こうやって見ると少しはわかる」

仙台村開拓団の事実を伝える資料はわずかしか残っていません。今は、3人いるひ孫の成長が楽しみだという菅田さん。過酷な経験を胸に秘めながら、平穏な日々を過ごしています。

菅田恒子さん:
「苦労しているから少々の苦労は我慢できる。今は娘の家に入ってこうして生活している。私は幸せだと思います」

菅田さんは、若い人たちに理解してもらうのは難しいのではないかと思い、これまで戦争体験を他の人に語ることはほとんどなかったという事です。戦争体験者がどんどん少なくなる中、自分の話が役に立つならと今回の取材に応じてくれました。