戦時中、国が掲げた「産めよ 殖やせよ」という政策の現場を担った産婆たち。しかし、取材を進めると、国策のためではなく、ひとりの人間として尊い命と向き合った産婆たちの姿がみえてきました。
「おぎゃー!」
助産院での新生児の沐浴。
「体重計るよ、きょうは2774」

助産師の望月知佳さんと玉川圭子さんです。妊娠や出産、育児まで、母と子に寄り添う助産師。かつては「産婆」と呼ばれ、自宅での出産を介助しました。

日本は、戦争に突入すると「産めよ 殖やせよ」を掲げ、兵力となる子どもを増やそうとしました。その重要な国策を担ったのが産婆でした。
<助産師 望月知佳さん>
「焼夷弾が飛んでくる中、お産のおうちに行ったり、命がけですよね」
<助産師 玉川圭子さん>
「お金も物もないのに、なんでそんなに人のためにやれるのかなと思った」

望月さんと玉川さんは産婆の経験を伝え継ごうと、戦時中を生きた11人の産婆から話を聞き、冊子にまとめました。
高木住子さん。戦時中の様子を語る音声が残っていました。