78年前、「特攻」に志願した日本の少年たちがいました。彼らはなぜ、命をかけてまで戦争に身を投じたのでしょうか。TBSテレビ「つなぐ、つながるSP 戦争と子どもたち 2023→1945」では、自ら志願して特攻隊員になったという男性を、小川彩佳キャスターが取材しました。
「戦争だからしょうがなかった」16歳で特攻に志願
敵に体当たりする「特攻」。当初はゼロ戦などの戦闘機でしたが、その後生まれたのが1.2トンの大型爆弾を搭載し“人間爆弾”と呼ばれた「桜花」です。
エンジンを持たない桜花は、目標地点まで爆撃機で運ばれます。敵を発見すると桜花が切り離され…グライダーのように滑空。その後、ロケットを噴射し、搭乗員もろとも体当たりします。生きて帰ることを前提としない「桜花」に、着陸用の車輪はなかったのです。

太平洋戦争末期、16歳で敵に体当たりする「特攻」に志願した少年がいました。浅野昭典さん、94歳です。
小川彩佳キャスター
「ご両親はどんな言葉で送られましたか?」
桜花搭乗員・浅野昭典さん(94)
「体を鍛えて一生懸命尽くしなさいよと」
その時代、死ぬことは誉れだったといいます。

小川キャスター
「命まで捧げてもいいと思わせるものは、何だったのでしょう?」
浅野さん
「当時は家族しかないよな。大きく考えてな。戦争が厳しくなったら、家族はどうなるのかなぁ。『よし!じゃあみんなでいこう』と」
当時の日本は、海軍の予科練に14歳から入隊でき、浅野さん以外にも、若くして搭乗員となる少年たちがいました。
浅野さん
「『明日は元気で飛び立てよ』それで終わりですよ。涙出したやつなんて見たことない。そういう心境にまでなっちゃってるわけです」
小川キャスター
「当時の大人たちに今言いたいことだったり、思うことはありますか?」
浅野さん
「何であんなもの作ったんだと思う。だけど戦争だからしょうがなかったんだ」
無謀な桜花作戦で、奪われた命は430人に上ります。