■きっかけは震災ボランティア
もともと東京で暮らしていた関口さんと東松島市を結びつけたのは、震災のときのボランティア。3年半の間に▼60回以上通い続けました。

そして、2016年8月から3年間、市の「地域おこし協力隊」に選ばれたのをきっかけに移住。奥松島の環境美化などを行ないながら、太鼓を演奏する団体にも参加しました。すると、自分の中で、ある変化を感じたといいます。
関口さん:
「東京にいた時は地域の活動は一切していなかったこっちに来て初めて地域のつながりは楽しいものだとよく分かるようになってきた」
2017年1月1日、水平線から上がる初日の出。人とのつながりを大事にする関口さんは、仲間とともに、野蒜海岸で続けてきたことがあります。毎年元日に合わせて、高さ▼3メートルの鳥居を砂浜に設置していたのです。
夏には、地引き網を引くイベントも。被災地の人たちも、また海で楽しむようになってほしい。関口さんの願いでした。
■震災で怖い目にあった人に戻ってきてほしい
関口さん:
「震災で怖い目に遭って、海に戻って来れない人たちも大勢いるが、本当は海は楽しいところで癒しの場所なので、そういった場所にまた戻したい、そのきっかけになれば」

砂浜の上でボールを打ち合うビーチテニス。関口さんが、海水浴場の復活を心待ちにしているもうひとつの理由は、このビーチテニスのコートが、野蒜にもつくられるからです。テニスやバレーといったビーチスポーツのコートが、最大で8面、砂浜に設置される計画です。
関口さん:
「もともと野蒜海岸でやりたかった。コートが出来れば、本拠地として使えれば最高」
12年振りに再開される野蒜海水浴場。開設期間は、▼7月20日から33日間です。
関口さん:
「奥松島は第2の故郷のような感じもうここなんですよ。また昔みたいに人がいっぱい集まってきて活気がつくのかなと。みんなが両手を広げて楽しめる大きな声が出せるそういう場所になればいいのかな思う」