しゃべらないミカちゃん 場面緘黙という症状を経て

人前に出る仕事をしたいと思うなんて、よほど活発な子だったのだろうと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、まったくそうではありませんでした。

遡ること幼稚園時代は、まったく喋らない子供でした。先生に話しかけられても、うなずくか首を振るか笑うだけ。途中からは、友達の耳元でこそこそ話のトーンであれば話しができるようになりましたが、無声音です。幼稚園内では3年もの間、はっきりと声を発することは一度もできなかったのです。

すっかり、「しゃべらないミカちゃん」が定着し、お友達の間では「ミカちゃん人形あそび」が流行りました。私が何て言いたいかを当てる遊びです。
決していじめられていたわけではなかったし、嫌でもなく、いつもとてもニコニコしていたそうです。ただ、声だけ出せないという症状が続いていたのです。
不思議なもので、幼稚園から一歩でも外に出ると、普通に話すことができました。

何年か前に偶然ネットの記事を見て知ったのですが、私の幼稚園当時の症状には「場面緘黙」という名前があったようです。
ある特定の場所におかれたときに声が出せなくなるという症状で、原因の特定は難しいですが、環境による緊張などが影響することもあるようです。

自分自身でさえ不思議に思っていたその症状に名前があったことを知った瞬間、自分のことをひとつ理解できたような気がして、妙に納得感を得たことを覚えています。
場面緘黙の症状を持つ方には、それぞれに様々なケースがあり、向き合い方があるとは思いますが、私の場合は「克服するために頑張る」とかではありませんでした。
周りに温かく見守ってもらえたことが、何よりも心が健康でいられたし自分のペースにあった療法になっていたのだろうと振り返ります。
幼稚園当時のお友だちが、しゃべらない私のことをポジティブに理解し、からかったりせず受け止めてくれていたことには感謝しかありません。だから私も、声を発することに極端なコンプレックスを抱えることなく、今があるのだと感じています。

好きなことをとことん

小学校に入学してからは言葉を発せられるようになりましたが、自分の気持ちを人に伝えることは得意ではありませんでした。
でも、自分が好きなことは、黙々と、延々に、とことんやり続ける性質があるのは昔から。

だから、自由研究も、好きだった手芸関連の工作ばかりになっていったというわけです。素質のありなし、上手にできるかどうかは問題ではなくて、やりたいことをただひたすらやるという趣味の時間に浸っていました。

当時、強く憧れていた「お天気の仕事」と、好きだった「ものづくり」…それらを掛け合わせたイベントがあったら、小学生の私は間違いなく行きたいと思ったはず。