杉下さんに聞く「竜エース論」

そんな杉下さんと、直接お話しできた思い出がある。2018年(平成30年)2月、ドラゴンズの春季キャンプ地である沖縄県北谷町の野球場。杉下さんは、すでに90歳を超えていたが、ドラゴンズブルーの帽子とウィンドブレーカーを着け、グラウンドやブルペンで後輩たちを“かくしゃくと”指導されていた。

球場内の控室に立ち寄った時に、そこに偶然に杉下さんがいらっしゃり、ドキドキしながら話しかけた。10分ほどの短い時間の会話だったが、印象深かったことは、ドラゴンズのエース論である。吉見一起投手(当時は現役)以来、「エース」と呼べる投手が出てこないことを残念だとおっしゃった。意志を持ったボールを投げる投手が今はいないと。そういう投手が必要だと。

「サンデードラゴンズ」より杉下茂氏(C)CBCテレビ

チーム作りの哲学とは?

もうひとつ、将来に向けてのドラゴンズのチーム作り。当時、新旧交代が大きなテーマだった。新しい戦力の獲得について。スカウト活動はどこのチームでも緻密になり、情報交換も活発化、いわゆる“隠し玉”は難しいと現状を分析された。

ならば、投手とか打者とかに関わらず、肩が強く、足が早く、身体能力が図抜けた選手を“素材として”獲得するべきだと、杉下さんは説く。「取った上で、その選手の特性を見極めて、投手にするか野手にするか、決めていけばいい。大切なのは野球センスと身体(からだ)だよ」。その年の秋のドラフト会議で、ドラゴンズは根尾昂選手を4球団競合の上で、獲得した。

「サンデードラゴンズ」より杉下茂氏(C)CBCテレビ

洋食店での思い出

会話の途中、杉下さんには、自分が小学生だった当時、名古屋駅前の洋食店で見かけた思い出も告げた。初対面なのに、そういう話もさせてもらえる“空気感”があった。「しっかり食べていらっしゃいました」「そうだね、店のことはよく覚えているよ」。ドラゴンズを語る時の強く厳しい視線は、柔らかになっていた。優しい目が、ますます細くなって、遠くを見つめた。懐かしい思い出となった。

杉下さんの訃報がもたらされた日、バンテリンドームで北海道日本ハムファイターズ戦をスタンド観戦した。試合前、両チームによる黙祷。球場全体で、背番号「20」の大エースを偲んだ。その試合も、次の試合も、その次の試合も、後輩たちは天国の杉下さんに白星を届けていない。温厚な杉下さんも、そろそろお怒りになるはずだ。しっかりしろ!と。杉下茂さん、苦闘が続く立浪ドラゴンズの野球を、見守っていて下さい。

CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。