プロの環境を活用し世界を目指す気持ちが強固に

もちろん、当時とは違いがある。
東京五輪は田中自身初めての五輪で、それも地元開催だった。前年の20年に大きく成長し、20~21年に1500mと3000mで日本記録を何度も更新。練習の速いペース設定さえ、「目新しさ」を感じて挑戦できていた。ひと言でいえば“勢い”に乗っていた時期だ。

22年からはその“勢い”に頼ることができなくなった。800mも含めた3種目で日本選手権と世界陸上に出場するなど、チャレンジする状況を作ったが、「どの種目も中途半端だった」と田中自身が感じてしまった。

その状況を打ち破るため、今年4月に実業団チームをやめ、フリーのプロランナーとして活動し始めた。だが4月中旬までは不安にさいなまれ、走りに精彩を欠いた。4月22日のTOKYO Spring Challengeからやっと目的意識をしっかり持てるようになり、課題に挑戦することを楽しめるようになった。

フリーという立場のメリットは、練習パートナーやスタッフを幅広く求めることができる。田中コーチとの激しい議論も(親子喧嘩と報じられることもある)、2度の御嶽合宿ではまったくなかったという。

「珍しいです(笑)。それもたくさんの方々が支えてくださって、父とだけでなく、周りとのコミュニティっていう部分が形成されてきたところで、そのバランスが良かったからかな、と思います」

高地練習からレースにつなげるパターンが確立されたことや、田中コーチ以外のスタッフとのコミュニティも形成されたこと。そうした取り組みが早くも効果を出し始めた。

「世界で戦うことを意識して今回は臨みました。いつもの日本選手権みたいに勝てるかどうか、ではなく、自分の可能性にチャレンジしたかった。今までの練習の成果をしっかり発揮したい。そういったワクワク感の方が強かったので、本当に世界を目指していいのかな、と思うことができたんです」

田中が世界のトップを目指す態勢が、完全に整いつつある。今回の日本選手権でそこが確認できたのが一番の収穫だった。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)