中国の若者はまた、自由を求める運動を起こす

(学生リーダーの一人として民主化運動を率いるウアルカイシさん 1989年)

Q.今の中国の若者たちは生活に満足していて、政治に興味がないともいわれます。また若者が立ち上がって、民主化を求める日が来ると思いますか?

ウアルカイシさん:
確かに、今の若者たちは、私たちとは全く違います。私たちは、集団主義的な価値観で育ってきたのでしょう。当時の我々のスローガンは、「世の中の興亡に我々は責任がある」というものでした。今の若い人たちの心はもっと個人主義的なのでしょう。個人の自由をより重視する。 個人のパフォーマンスをより重視する。しかし、これはすべて表現の自由や表現のためのスペースが十分にあることを前提にしています。この点、今の中国は次世代の若者から完全な自由、情報の自由、表現の場を奪っているのです。彼らは世界のことを自分の責任とは感じていないでしょうし、天安門事件の時のように知識人としての責任を感じて街頭に出ることもないでしょうが、個人の自由を追求し守ることについては、私たち以上に強い思いがあると思います。
だから私は、中国の次の世代の若者たちは必ず自分たちの自由を追求する新しい運動を起こすと信じています。その運動がどのような形になるかは、まだわかりませんが、抵抗は必ずまた出てくるのです。

Q.中国はいつか民主化するのでしょうか?

ウアルカイシさん:
間違いないです。 中国のような規模の国が、自由、平等、開放の価値を完全に拒否してしまう理由はないのです。もし拒否すれば、世界は中国の存在を受け入れなくなるでしょう。北朝鮮くらいの規模の国であればそれほど世界に影響を与えないでしょうが、もし中国が自由や平等を拒否する国になったとすれば、世界に計り知れない影響を及ぼし、それは中国国民にとっての悲劇であるだけでなく、世界にとっても脅威となるでしょう。中国共産党のような権威主義的な政権は、国民の自由を略奪し続けることはできない、と私は考えています。中国はいつの日か、開かれた自由な世界の一員、世界の家族の一員となるのです。

Q.天安門事件当時、あなたはどのような中国を目指したのでしょうか?

ウアルカイシさん:
中国のような権威主義的な環境で若いころを過ごした私たちは、確かに民主的な世界がどのようなものか完全には理解できていません。しかし、非民主的な国や社会がどのようなものであるかは十分に理解しています。私たちは自由と民主主義を望んでいます。1989年、学生たちは中国はポーランドに似ていると想像していました。ポーランドはすでに「連帯」という市民権力を通して共産党の独裁に挑戦していたのです。ポーランドが複数政党制を構築しようとしていた時期に、中国共産党が私たちに出した答えは、虐殺でした。
1989年6月4日、中国政府が平和的な請願者を虐殺したその日、ワルシャワでは民主的な選挙が行われ、共産党独裁政権から開かれた民主主義への平和的移行が成功したのです。私たちのポーランドのようになりたいという願いは、後に正しいことが証明されました。
そして、言論の自由を含む結社の自由、私有財産権の保障、市場経済など、私たちが行った政治的要求もまた、正しいことが証明されました。
民主的な環境で生活していなかった中国の大学生でも、本を通して、あるいは開いた窓から外の世界を見たり、別の共産主義国であるポーランドを想像したりして、89年の学生運動は民主化運動と呼ぶにふさわしいものであったことが証明されたのです。
また、当時20代だった私たちが、これほどまでに的確な未来像を持っていたことを誇りに思います。