衝撃!「ヤフーニュース」1996年11月のトップページ画面は
ーいまや「インターネットでニュースを見る」というのは当たり前になりましたが、大体いつごろから、何をきっかけに「ニュース」はネットにシフトしてきたのでしょうか?

(奥村倫弘教授)
昔は、ニュースといえば「テレビ」「新聞」だったと思うんですけど、最初はヤフーがかなり早い時期にニュースサービスを始めたんですね。それが1996年のことで、そこに配信をしていたのは毎日新聞さんとかですね。そういう意味では1996年ぐらいには、「今のヤフー」の元になるものがあったと言えると思います。
ーその頃のヤフーニュースには何社のメディアが参加していて、どれくらいの本数の記事が出ていたのでしょうか?
いや本当に数社くらいです。記事は1日に数える程度、もう両手で数えられるほどでした。最初のうちは「ネットニュースのニーズ」はそれほど顕在化していなかったと思います。
ー当時の「Yahoo!ニュース」のトップページは、どのような感じだったのですか?

こちらですね(【画像】参照)。26年前、1996年11月18日のYahoo!ニュースのトップページです。国内ニュースはというと...これだけ(16本)です。この日の配信元は毎日新聞とロイターの2社だけですね(現在は700近い媒体が配信)。

何が当たるか分からない ネットニュースも「大きな流れに乗るんだ」と
ーそれが、PV(ページビュー)が増えていったのはいつ頃で、そこにはどういう背景があったのでしょうか?

1996年にヤフーができてから、PVはずっと「うなぎのぼり」でした。インターネットが一般に普及し始めたのは1995年でしたから、その直後からずっとうなぎのぼりでしたよね。その辺りは、やっぱり「見る人たちのニーズ」があってこそだとは思います。
今でこそ、賢く「ニーズ」という言葉で語られていますけれども、当時は多分そんなことはあまり考えていなかったですよね。とにかく「今ある大きな流れに乗るんだ」と。何が当たるのか分からない時代なので、あらゆることを試して、その中でうまくいったものを伸ばしていくと、そういうスタンスだったと思います。
「とにかくニュースを身近にしたかった」
ーそのころ奥村さんは、「メディア経験者」として「何かこんなことをネットを通じて伝えたい、大切にしたい」というようなビジョンはありましたか?
私自身は、ヤフーに入る前は新聞記者を7年くらいやっていました。当時は「このニュースをどう扱いたいか」ということは実はあんまり考えたことがなくて、ヤフーで最初に考えたのは「ニュースを身近にしたい」ということだけでした。

それ以上に僕は、「ニュース」よりも「インターネット」の方が好きだったので、インターネットと戯れていることが楽しかったです。なので「ジャーナリズムをどうするか」とか、そういったものは、ヤフーに転職してから何年かはそんなに深く考えたことがなかったというのが正直なところですね。
ーそれが変化してきた、思いが醸成されてきたのはいつ頃からですか?

そうですね、2003年ぐらいですけれども、道を歩いてると「ヤフーって知ってる?」とか「ヤフートピックスって知ってる?」という会話を街の中で聞くようになってきたんですよ。それまではそんなことはなかったんですけれども、「なんかいよいよ浸透してきたんだろうな」という気がしました。