かつて「暴走族」と呼ばれた若者たちが、特殊なカルチャーを作っていた時代がありました。夜露死苦、なめネコ、正月暴走など、独特のカルチャーで一世を風靡(?)したものですが、あのカルチャーはどのようにスタートし、どのように盛り上がり、そして廃れていったのでしょう。
(アーカイブマネジメント部 疋田智)
暴走族は「豊かになったからこそ」?
暴走族の起源は、戦後の高度成長とともにあります。まず1950年から60年代にかけて登場したのが、けたたましい音を立ててオートバイに乗る「カミナリ族」と呼ばれるグループだったといいます。

しかし、この時期のオートバイは高価な贅沢品。
カミナリ族を名乗れる若者たちは、裕福な家庭で育った、いわば「かぶき者」でした。『太陽の季節』に登場するような若者と言えば分かりやすいでしょうか。
暴走族の成立
高度成長末期、70年代になると、オートバイは庶民的な乗りものになります。
ここから暴走族は「一般的」になりました。不良少年たちがグループを組み、集団で暴走するようになるのです。

彼らはスピードを競うわけではなく、いわば自己アピールのため、バイクを乗り回しました。蛇行しながら交通妨害をし、騒音を撒き散らす。日本版の「理由なき反抗」です。
もちろん一般市民は眉をひそめ、週末になるごとに街道沿いからは「うるさくて眠れない」などと大問題となりました。
警察も取締りに乗り出します。
なお、この頃の主流はクルマよりもオートバイでした。