男子100m日本記録(9秒95)保持者の山縣亮太(30、セイコ)が、21年10月の右ヒザ手術後初のレースに出場した。4月29日に行われた織田幹雄記念国際(エディオンスタジアム広島)男子100m予選1組で5位、10秒48(+0.5)で決勝に進めなかった。
好結果を求めていたわけではないが、「良かった点を挙げるのは難しい」という内容だった。手術後の新たな走りの技術を定着させるためには、次戦の200mが重要になる。
山縣が休養期間に取り組んだトレーニングとは?
9秒95の日本新で走ったのが21年6月6日。4日後が誕生日だった山縣は、28歳最後のレースで念願の9秒台スプリンターの肩書きも得た。
しかし同年7月の東京五輪は予選落ち。12年ロンドン、16年リオに続く3回目の大舞台だったが、予選落ちも、10秒10を切れなかったことも自身初めてのことだった。五輪後初レースは9月の全日本実業団陸上。何度も10秒0台で走っている相性の良い大会だったが、100m予選だけを走り決勝を棄権した。
翌10月に17年頃から気になっていた右ヒザを手術して、昨シーズンは1レースも出場しなかった。右ヒザの故障の原因となった「右ヒザと右足首が内側に倒れ込む動き」(山縣)そのものを矯正しないと再発する。「もっと股関節で地面をとらえる動き」に修正するためのトレーニングを積み重ねた。
試合に出ない期間は「さすがに長かった」が、復帰を焦らないよう心がけた。そのスタンスが功を奏し、今年のシーズンイン前の2月には「ハワイで3週間、スパイクを履いてスピードを出す練習を再開できた」という。
だが4月2日に予定していた東京六大学オープン200 mは、3日前の練習中に左脚内転筋がつって大事を取って欠場した。それでも練習に大きな支障は出ず、織田記念前日の練習は「結構良いのかな」というレベルで行うことができていた。
山縣と桐生が“メモリアル”な大会で再スタート
予選1組で同走する桐生祥秀(27、日本生命)は100m元日本記録保持者。日本人初の9秒台となる9秒98を18年にマークした。桐生と山縣が大舞台で初めて対決したのが13年織田記念で、ちょうど10年前だった。当時山縣は慶應大の3年生で、すでに前年のロンドン五輪に出場し準決勝まで進出していた。
しかし17歳の桐生が予選で10秒01(+0.9)と特大のU20日本新を出し、日本中を驚かせた。決勝は桐生が10秒03(+2.7=追い風参考記録)で優勝し、山縣が10秒04の2位だった。
その後の2人は何度も対戦してきた。リオ五輪では山縣2走、桐生3走で4×100mR銀メダルと、五輪トラック種目史上最高タイの成績を残した。
「彼が力を発揮したレースで勝てた印象はありません」と、山縣は桐生との対戦を振り返る。「しかし桐生君に負けたことは自分にとっても、ブレイクスルーの突破口となってきました」。
13年6月の日本選手権は桐生に快勝して初優勝を達成した。15年3月のテキサスリレー100mで9秒87(+3.3)の桐生に完敗したときは、自身の走りや取り組みを徹底的に見つめ直し、16~18年に10秒00~10秒03を連発する分水嶺的な出来事になった。
その桐生も昨年6月の日本選手権以降、休養に入っていた。3月に豪州で100mを走り、国内でも200mを走ったが、今大会が100m国内復帰戦になる。
山縣は「メモリアルですね。一周回って戻ってきた。お互い休養期間を経て、復帰戦が一緒になる。感慨深いです」と大会前日にコメント。山縣個人にとっても日本の短距離界にとっても、今年の織田記念は意味を持つ戦いだった。