福島第一原発事故による帰還困難区域のうち、福島県飯舘村長泥地区の「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」と拠点外の一部について、5月1日午前10時に避難指示が解除されました。これで、国が先行して除染を進めている福島県内6つの町と村に設けられた「復興拠点」のすべてで避難指示が解除されました。

飯舘村・長泥地区(1日午前10時)

原発事故で帰還困難区域となった飯舘村の長泥地区は、地区の面積のおよそ17%が「復興拠点」で、先行して除染が進められてきました。政府と飯舘村、県は長泥地区の復興拠点について、インフラ整備が進み、放射線量が十分に低くなっているとして、避難指示の解除に合意していました。

また、長泥地区の拠点外では今回、自治体に強い意向があれば、除染をせずに避難指示を解除する「除染なき解除」が採用されました。対象は、除染で出た土を再利用する実証実験に使用してきた「長泥曲田公園」のおよそ0.6ヘクタールです。

元区長「他人事に扱ってもらっては困る」

震災直後から長泥地区で区長を務めた男性は、長泥をきっかけに「原発のことを多くの人に考えてほしい」と訴えています。

長泥地区元区長・鴫原良友さん「これからがスタートっていうより、まだスタートが切れない状態」

鴫原良友さん

長泥地区の鴫原良友(しぎはら・よしとも)さん。震災前から2020年まで区長を務め、生まれ育った長泥を見つめてきました。ふるさとの一刻も早い解除を求めてきた鴫原さん。

今回の解除については…。

長泥地区元区長・鴫原良友さん「解除というのはもう、本当に期待もしているし、12年、俺としてはちょっと遅いのかな。もうちょっと早く解除していただけたらなと」

3月、飯舘村の杉岡誠村長は、会見の場でこう話していました。

飯舘村・杉岡誠村長「村としては夢のあるふるさと・長泥を目指して…」

「夢のあるふるさと・長泥」は、鴫原さんがくり返し訴えていた言葉だったといいます。

長泥地区元区長・鴫原良友さん「俺としてはな、夢のあるふるさとって言ったんですけど、もっと、村長も言っているが、わくわくするような…」

およそ10年にわたって、区長として国や村と住民の間に立ってきた鴫原さん。いまでも悩んでいることがあります。

鴫原さん「一番つらいというか、自分の田畑に汚染土を入れるという決断だな…悩んで結果出したんだけど、この段階になって、最終処分場みたいな感覚で言う人がいたので、これが一番、本当に正しかったのか、良かったのか、悪かったのか、すごくいま悩んでいるというか…」

2018年、長泥地区では、除染で出た汚染土を再利用する実証事業を受け入れました。当時も「苦渋の決断」と話していた鴫原さん。いまもその選択が正しかったのか、悩むことがあると言います。

鴫原さん「答えを出すのでなくて、いま、一生懸命探っているのに、それをいい悪いで言われるのが俺としてはきついなと。なんとかいい方向にと頑張っているのに。それをわかってもらいたいというのが、俺としては…」

汚染土の再利用をめぐっては、環境省が去年、東京の新宿御苑など、県外で行う計画を明らかにしています。反対の声も根強い中で、鴫原さんはこう話しました。

鴫原さん「人のいるところに、放射能を持っていくのは、俺としても悪いと思っているけど、ただ、原発の電力は本当に、90%以上を送っているわけで。特に関東の人にはな、他人事に扱ってもらっては困るなと。俺はな、もっと福島のことや原発のこと、実証実験のこと、原発のごみのこと、全国に50基もあるんだからな。そのごみをどうするんだということを訴えられればいいと思う」