教師生活の最後、定年退職を迎えるまでの3か月間、いわゆる『追い出し部屋』に追いやられた元中学校教師。教壇に立つこともできずに定年退職を迎えた教師には一体なにがあったのでしょうか。

中学校教師「追い出し部屋」での一日とは

 かつて在籍していた中学校を敷地の外から眺める好田得二さん(60)。この中学校で美術を教えていました。教師一筋36年。最後の勤務校である高槻市立第二中学校では、担当していた美術部がコンクールで最優秀賞を取ったこともあります。

 しかし、教師生活の最後に思わぬ仕打ちを受けたと話します。

 (好田得二さん)
 「なんか本当に複雑な気持ちですね。最後をこういう形で迎えるというのは」
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 一体どういうことなのか。取材班が訪れたのは中学校から約4km離れた市の教育施設「高槻市教育センター」。3月20日の午前8時20分、好田さんが出勤してきました。好田さんはこの施設で「教材作り」をするよう市教委から命じられていました。
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 仕事場は施設4階にある会議室。ここには好田さん以外に生徒も教員もいません。たった1人で仕事をするのです。
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 午前8時45分が始業。

 (好田得二さん)
 「それでは今から仕事の準備に入ります」

 カバンから取り出したのは美術の歴史が書かれた専門書。日本や世界の美術の歴史をまとめるために黙々と本を読み進めます。誰も部屋を訪れることなく本を読むこと3時間。チャイムが鳴ります。

 (好田得二さん)
 「午前中の仕事を終えます」

 正午からようやく昼休みです。
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 (好田得二さん)
 「誰かと協力して仕事をするとかいうことは一切なくて、ただそこで教材作りをしろという指示が与えられているだけ。私にとってはまるで収容所のような場所ですね」