
元静岡地裁・裁判官 故・熊本典道さん
「自白調書の数が非常に多かったでしょ。取り調べ期間の20日ちょっとの間、まさしく連日連夜ですよね。こんなもの証拠として認めるわけにいかんと思ったの。(他の裁判官)2人は『1通くらい認めてやれよ』と。私『じゃあそうするか』と。妥協の産物ですよ」
45通あった自白調書のうち、たった1通を採用。ただ、その1通の調書が、袴田さんの人生を変えた。
元静岡地裁・裁判官 故・熊本典道さん
「最後の結論で『被告人を死刑にする』と裁判長が読み上げた後、彼の肩がガクッと落ちた。その後、僕は判決聞いてない、聞こえてない、頭の中に入らなかった。あと、どうするかなぁと、そればっかり考えてた」
自白内容と全く違う“疑惑の証拠”「5点の衣類」
自白調書に加え、死刑判決の決め手となったのが犯行時に着ていたとされる衣類だ。
元々、検察は、袴田さんがパジャマを着て犯行に及んだと主張。袴田さんも、それに沿った自白をしていた。
<録音テープのやり取り>
取調官
「どういう格好して行ったんだ?」
袴田さん
「寝てるパジャマをそのまま着て、そのまま下へ降りて、ナイフはズボンに刺していった」
しかし、裁判の途中で、すでに捜索をしつくしていたはずの現場近くのみそタンクからパジャマとは別の血に染まったシャツやズボンが見つかる。すると、検察はすぐに証拠を変更した。

自白の内容と全く違うにも関わらず、裁判の途中で切り替えられた「疑惑の証拠」、通称・「5点の衣類」。
ズボンは小さくて太ももまでしか履けなかったが、判決が覆ることはなく、1980年、袴田さんの死刑が確定。その後、裁判のやり直し=再審を何度も求め続けた。
逮捕から48年 1万7390日ぶりの釈放

逮捕から48年が経った2014年、静岡地裁の判断で、裁判のやり直しが決まった。この時、実に1万7390日ぶりの袴田さんの釈放も認められた。

しかし、検察が決定を不服として即時抗告し、2018年、東京高裁は再審開始の決定を取り消した。
これに対して弁護団が特別抗告をし、最高裁は「犯行時着ていたとされる衣類についての審理が尽くされていない」と東京高裁に差し戻した。
焦点となった5点の衣類の“血痕の色”
5点の衣類についていた血痕の色が焦点となった。
弁護団は1年2か月もみそに漬かっていたにしては、血痕が赤すぎると指摘。実際に1年以上、みそに漬けてみると・・・血痕の赤みが黒っぽく変化した。

袴田事件弁護団 小川秀世弁護士
「色の濃さが全然違うじゃないですか。血液の色も赤みが全然残ってないですよね、全然ね」
一方、検察側は「長期間みそに漬けても赤みが残る可能性はある」と弁護団とは反対の主張をした。
1年以上みそにつけても、この写真のように血痕に赤みが残るのか?それとも、赤みは消え、黒くなるのか?

弁護団は、長期間のみそ漬けが血痕に与える影響を科学的に解明するため、法医学者に依頼。血液が入ったチューブにみその成分を加えると・・・血液は酸と混ざった瞬間から黒くなった。
弁護団は、時間が経つごとに血液の赤みは消え、どんどん黒くなっていくと報告した。

















