1943年、第二次世界大戦終盤の兵力不足を補うために20歳以上の学生を在学途中で出征させた「学徒出陣」。その第14期海軍飛行専修予備学生に相次いだ特攻命令は“国家による死の強制”だった。彼らの徴兵から79年が経った現代も、世界では戦争が起こり、国に徴兵された若者が命を落としている。私たちは彼らの苦悩から何を見て、歴史から何を学ぶべきか。

■若者1人1人の“人生”や“思い”が記された膨大な記録

79年前、学問の道を突然閉ざされ徴兵された海軍の予備学生をめぐる膨大な資料が、大分県宇佐市役所の書庫に眠っていた。

宇佐市教育委員会 安田晃子さん
「一人の予備学生がどの大学の出身でどこで基礎教程を行って、どこで実用機教程を行って、戦死した人はいつ亡くなったか。よく戦死者何名と数でいうが、数ではなく、そこには一人一人のいろいろな人生とか思いがあるということを掘り起こしていくための一番基本的なデータ」

予備学生の一人、美座時和さんが、28年かけて、手書きで3000人以上のデータを積み重ねたものだ。

大分県宇佐市には、かつて宇佐海軍航空隊の基地があった。

1943年秋、国が文科系学生の徴兵の猶予を解き出征させた「学徒出陣」。この際召集され、宇佐をはじめ全国の航空隊に散ったのが“第14期海軍飛行専修予備学生”。彼らの中から、生きて帰ることを許さない特攻に選ばれる者が相次いだ。

沖縄本島の西に広がる海は、アメリカの艦船に爆弾を積んだ特攻機が体当たり攻撃を繰り返した戦場だった。国家は、この海で死ぬことを強制した。14期予備学生の戦死者の約4割が特攻によるものだった。