佐々木甲さん(66)は近所の人から“プロペラ親父”と呼ばれている。富士山麓に建つ大きな作業場で、この日もなにやら大きなプロペラを取り付ける作業をしていた。
実は佐々木さん、日本で初めてのある乗り物を、ほぼ一人でつくり上げた。
(TBS 3.11震災特番Nスタスペシャル“いのち” ディレクター 谷脇惇志)
“プロペラ親父”が日本で初めてつくった乗り物「エアボート」
その乗り物とは「エアボート」。後部のプロペラによる風の力で動く。水中にスクリューがないため、瓦礫やゴミが引っかからず、海外では長く、災害の際、人命救助を担ってきた。
佐々木さん
「スクリューのゴムボートでは成し得ないことが簡単にできてしまうわけですよ」
佐々木さんは子どもの頃、海外のテレビドラマで見たこの「エアボート」に憧れた。宮城県登米市出身で、三陸の海にしばしば出かけ、遊び場にして育ったという佐々木さん。小・中学校では科学部に入り、機械いじりが大好きだった。佐々木さんは、自作のラジコンエアボートを作った。それがおもしろいように水の上をビュンビュン走った。当時日本にはまだ無かったエアボートを、いつか自作したいという夢ができた。

佐々木さん
「いつか俺が大人になったら自分が乗るエアボートをつくりたいっていう夢を中学校2年のときに持ったわけですよ」
「夢」が「使命」に変わった瞬間
地元の工業高校を卒業後、仙台で自動車整備士に。その後、東京で空調設備会社を立ち上げた。いよいよ夢だったエアボートづくりに本気で取りかかろうと動き始めたとき・・・

佐々木さん
「2011年3月11日に津波が来た。友達とか同級生、家族のいとことか知り合いとか仲間がみんな津波で飲み込まれた」
馴染み深い三陸の海が津波にのまれていく様子を、佐々木さんは、ただテレビで見ていることしかできなかった。
佐々木さん
「そのときのテレビの映像を見ると気仙沼湾に瓦礫がいっぱいあってね。タンスに捕まって『助けてくれ』っていう一人の男性がいた。漁船はそこに行けなかった。だってがれきがスクリューに絡まっちゃうから。『エアボートがあればあそこまで行けたのにな。ああ、早くつくらなきゃいけない。なんで今、日本にはエアボートが無いんだろう』と思ったわけ。『それじゃあ救助艇を作ろう』と。夢が使命に変わった瞬間なんですよ」
佐々木さんの「夢」が「使命」に変わったーー