「戦いというのは物語としては面白く描けるが、つらい」。2月13日、急性心不全のため亡くなった漫画家の松本零士さんは、生前、私たちのインタビューでそう話していた。しかし、それでも松本さんは戦争をモチーフにした漫画を描き続ける。そこには、戦争を体験した松本さんのある強い信念があった。
(2019年8月放送『報道特集』より、松本さんへのインタビューを未使用部分も含めて構成 聞き手:膳場貴子キャスター)

「タタタン、バリバリ」聞き続けた轟音 ただ飛行機が面白かった少年時代

漫画家の松本零士さんが経験した戦争とはどのようなものだったのか。初めて戦争の恐怖を覚えたのは本土空襲が激しくなった昭和20年だったという。当時7歳だった松本さんは、母の実家がある愛媛県、いまの大洲市にいた。少年時代に見て、聞いた経験が、飛行機マニア、メカマニアの松本さんをつくり、のちの漫画に大きな影響を与えていく。

ーー戦時中は、軍国少年でしたか?

いやいや、小学生ですから、軍国もなにもさっぱり分かりませんよ。ただ飛ぶものに興味があるわけですね。飛行機が面白いですよね。轟音をたててくるし。

ーー松本さんの作品を読んでいると、飛行機を音で聞き分けたり、機関銃の音で敵味方を見分けたり、肌感覚として戦争の光景が体に染みついているなと感じます。

実際に空中戦が頭上で起こってますからね。双方が持つ機関銃の音の違い、速度の違い、爆音が違うんですよ。エンジンの音がね。ものすごい低空を日本の超高速の飛行機がぶっとんでいくのも見ましたし、空中戦も見ているわけですよ。

どっちが勝ったやら負けたやらは分からないけど。タタタンタタタンバリバリバリと、音もずっと聞いていたわけですよ。家の倉の裏に母親に押さえ込まれて、タタタンタタタンという音の後に行ってみたら機関銃の弾がめり込んでいた。それを引っ張り出してはみんなで山分けして、破裂させたいってコンコンたたいて…破裂してたら上半身なくなってますよ。

ーー機銃掃射に巻き込まれた経験もあるそうですね?

実際に撃たれた。タタタンタタタンといいますからね。音はそれだけだけど、6連発くらいのものが来るわけです。ものすごい数の弾が飛んできているんですね。でもガキですからね、正直言うと楽しんでいたんですよ。面白かったんですよ。弾を掘り出して、みんなで山分けして、弾をいっぱい持っていました。

ある時は、機銃掃射したグラマンが私の目の下を飛んだんですよ。私、20メートルくらいの高さの家にいたもんで、ごーーって音がしてタタタンという。だけど見えないんですよ。いちじくの木や、電柱より低い田んぼの上、私の目より下を飛んでたんです。真っ白い服を着たパイロットがこっちを向いてにやっと笑ったんですよ。我々もにやっと笑いました、友達と一緒に。そういう不思議な不思議な体験をした世代なんです。

ーー終戦では、どんなことを思い出しますか?

戦争が終わった次の日、8月16日の夕方、宇和島にいた練習航空隊が夕日の前を横切ってシルエットになって飛んでいったんです。それを見たのが日本の飛行機の最後ですけど、まるで映画の大団円みたいなものですよ。不思議な光景をこの目で目撃しているんです。それから永久に日本の飛行機は見なくなった。

松本さんは番組のために、終戦の翌日に見た景色を描いてくれた

ーーそれで敗戦をかみしめた?

夕日の太陽の前をシルエットになって飛んでいったから、劇的な、本当に劇的な最後がこの目に残っているんですね。大エンディングですよ。

「まるで映画の大団円…」松本さんが目にした忘れられない光景