クーデターから2年が経過したミャンマー。北西部などでは、武装した若者らの勢力による国軍への抗戦が続いている。

去年来日し、関東に暮らすミャンマー人の男性(21)も、戦闘に加わった経験を持つ。「国軍の非道さについて訴えたい」と、先月、顔を出さないことなどを条件に取材に応じた。

男性の話からは、圧倒的な武力差の中でも戦闘に身を投じざるを得ないミャンマーの若者の置かれた状況が浮かび上がる。

非暴力のデモ、実弾で抑えつけ 殺害、女性への暴力も

チョウさん(仮名)(21)
「最初の戦闘で、私たちは手製の銃や狩猟用の銃を使いました。戦闘経験は全くありませんでした。周りを飛び交う銃弾が、国軍が発射したものなのか、自分のグループが発射したものなのか、それすらわからないような状態でした」

自身の経験をこう振り返ったチョウさん(仮名)。ミャンマー北西部のザガイン地域の村の出身で、去年6月に来日し、関東に暮らしている。穏やかかつ淡々とした語り口は、戦闘とは程遠い印象だ。

取材に応じたチョウさん

インドとの国境に接するザガイン地域は、国軍と民主派の武装勢力の間で最も激しい戦闘が続いているとされる地域のひとつだ。2021年2月の軍事クーデター直後、自身の村でも多くの市民が抗議のデモに参加したが、チョウさんは「あくまで平和的なものだった」と話す。

国軍側はデモ隊に実弾で発砲するなど次第に弾圧を強め、連行されたり、殺害されたりする若者も相次いだという。

チョウさん(21)
「連行された女性が性的暴力を受けることや、連行された人が殺害され、その遺体を村に返すことすらしないこともありました。このまま平和なデモを続けるだけでは、軍に抵抗するのは無理だと感じました」

「手製の銃で・・・」圧倒的な武力差 雨の中負傷者抱え「走り続けた」

「自己防衛する必要がある」。4月頃、チョウさんは周りの若者とともにそう決心。民主派の武装組織「PDF=国民防衛隊」への参加を決めた。

組織と連絡を取り合ってはいたが、すぐに武器を調達できるわけではなかった。軍との戦闘に備え、まずは入手可能な材料を用いて手製の銃を作ったという。

※製造した手製の銃など チョウさん提供

そして7月、チョウさんにとって忘れられない日がやってきた。

その日の早朝、武装勢力のメンバーを拘束するとの理由で、国軍の兵士約50人が車で村にやってきた。

チョウさんらは身をひそめていたが、別の若者が抱えていた手製の銃が、着ていた服に引っかかり誤って発射され、発砲音が響いた。その音を聞きつけた国軍兵士は―――。

チョウさん
「それから、軍が電話で襲撃許可を取っているのが聞こえました。その後はあたりかまわず、連射し始めたのです」

無差別に連射する国軍に対し、チョウさんは手製の銃を持ち抗戦した。さらに若者だけでなく、3千人いる村人のほとんどが応戦し、国軍兵士への抵抗を試みた。

人数では優勢だったが、機関銃などを持つ国軍兵士には「全くかなわなかった」。手製の銃は発射に驚くほど時間がかかった。火薬に点火しない銃も多くあった。

歯が立たないと察したチョウさんらは、負傷者を抱え、近隣の村まで無我夢中で逃げた。当時ミャンマーは雨期。この日も夕方から雨が降り始めた。ぬかるむ道を、牛車で負傷者を運び、夜11時頃ようやく避難先にたどり着いた。

翌朝、戦闘で友人6人を含む村人ら32人が戦闘で命を落としたことを知らされたという。

チョウさん
「いま考えるとおかしな話ですが、私たち農民は、単純に人が多ければ勝てると思っていたのです。しかしこの日痛感したのは、自分たちの手製の武器では到底、軍に対抗できないということでした」