「恐怖は感じなかった」

同年12月、チョウさんは再び村を襲った国軍との交戦に加わった。やはり武力では国軍の方が優勢だったが、民主派も別の組織などから武器の提供を受け、軍側を押し戻したという。

チョウさん
「民主派勢力の方が、相手を必ず倒そうという気持ちで戦っている。精神的に強いし、武器の差さえなければ民主派が勝ちます」

戦闘が散発的に続く中、翌年、チョウさんは出国を決意する。実はクーデター前から「将来のために経験を積みたい」と、技能実習生として日本へわたることを決め、手続きも終えていた。

クーデターで暗礁に乗り上げたが、再び道が開けたことで、7月に来日した。国外でミャンマーの現状を伝えたいとの思いもあったという。

クーデター前には想像もしていなかった戦闘への参加。いま、その経験を改めて振り返り、淡々と次のように話した。

チョウさん
「実際に戦闘に参加する前は、強い恐怖を感じるだろうと思っていましたが、やがて、心の準備ができ、恐怖は感じませんでした。多くの国民のためにしたことなので、誇りに思っています」

ザガイン地域では、現在も断続的に戦闘が続いている。今年に入ってからは、チョウさんの故郷の村が国軍によって焼き払われたと現地メディアが伝えた。

チョウさんの家族は無事だが、森林地帯での避難生活を余儀なくされているという。

※国軍により焼き払われたザガインの村 今年1月撮影 チョウさん提供

武装した若者たちは、もともと国軍と対立していた少数民族の武装勢力の支援を受け先鋭化しているとみられ、戦闘の泥沼化も懸念されている。

来日後も「ミャンマーの状況、頭から離れない」

UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)によると、ミャンマーで戦闘などの影響で住む場所を奪われた国内避難民は、今年始めの時点で150万人を超えた。 

「日本に来てからも母国のことが頭から離れない」と話すチョウさん。いま、日本で仕事をしながら、母国の国内避難民らへの支援活動を続けている。

避難民などを支援する団体「ミャンマーの平和を創る会」の募金活動 チョウさんも参加した

1月末、都内の駅前では、在日ミャンマー人らが作る支援団体のメンバーとともに、募金箱を手に「ミャンマーを助けて欲しい」と呼びかけるチョウさんの姿があった。

団体の一人は「国際社会がウクライナに注目する中、ミャンマーの状況が忘れられるのではないかと不安だ」と話していて、クラウドファンディングも立ち上げ支援を呼びかけている。

ミャンマーの状況は混迷を極めている。クーデターから2年となった1日、国軍は非常事態宣言の延長を発表。憲法に規定された総選挙は再び延期されることが確実視されている。

チョウさんは「再びミャンマー民主主義が戻るまではあきらめたくない」と強く訴える。今後も自身の経験を話すことや、募金活動などを通じた民主派への支援を続ける考えだが、連日、母国から届くニュースに心を痛めている。