『バース・デイ』は、11年前から競泳・池江璃花子(26)を追い続けてきた。カメラが記録してきたのは、常に「涙」と共にあった彼女の競技人生だった。涙の数だけ強くなり、挫折のたびに前を向いてきた彼女が迎えた、3度目のアジア大会。「努力」の意味と闘い続けた先に、彼女が掴んだ答えに迫る。

15歳で天才少女と呼ばれて

池江の取材を開始したのは2015年、彼女が15歳の中学3年生だった頃に遡る。当時すでに「天才少女」として注目を集めていた池江は、学校が終わると真っ直ぐプールへ向かい、青春のすべてを水泳に捧げていた。

幼少期から高い目標意識を持ち、小学6年生の最後の大会で優勝するために毎日雲梯(うんてい)に取り組むなど、陰での努力を怠らなかった。当時「水泳を辞めたいと思ったことはない」「リオ五輪に出場し、その後の東京五輪で金メダルを取ることが目標」と笑顔で語っていた。

その言葉通り、15歳で中学生としては19年ぶりとなる日本記録を樹立。翌年のリオデジャネイロ五輪選考を兼ねた日本選手権でオリンピックへの切符を掴み取ると、嬉し涙を流した。初めて挑んだリオ五輪では5位入賞を果たし、メダル獲得へ確かな手応えを得る。

18歳で出場した2018年のアジア大会(ジャカルタ)では、日本人初となる「6冠」という偉業を達成。競泳界のニューヒロインとして世界から熱い視線を浴びた。

栄光の裏にあった過酷な努力と、突然の病

華々しい活躍の裏には、人知れず重ねた壮絶な努力があった。

標高2000mに迫るメキシコでの高地トレーニングでは、「息を吸っても奥まで届かない」過酷な環境下で激しい練習をこなした。世界記録保持者と共に泳いだトルコ合宿では、息を切らし、涙を流しながらも食らいついていった。どんなに強い相手にも負けたくないという強い意志を持ち、18歳の池江はまっすぐ世界の頂点を見据えていた。

しかし、これからという時に白血病を発症。競泳人生は一変する。

後に、復帰した池江が親友の元競泳日本代表・今井月(26)と語り合った場面がある。かつての圧倒的なタイムや残された日本記録について振り返り、「もし病気にならなかったら、どこまでいけていたか」という問いに対し、池江は率直な思いを明かしていた。

「100mバタフライは55秒前半いっていたと思う。これからだったのに…」

病がなければ届いていたはずの未来。その現実と向き合いながらも、かつての自分を取り戻し、それを超えるために池江はゼロから身体を作り直す過酷なリハビリと練習を開始した。