普天間返還合意の原点 混迷の30年を生きる若者の葛藤

辺野古への普天間基地移設のきっかけは、31年前の1995年9月、3人のアメリカ兵が起こした少女暴行事件に遡る。

一報は、事件4日後の小さな記事だった。3人は帰宅途中の小学生を拉致し、暴行に及んだ。事件は、占領下と変わらぬ沖縄の現状を突きつけた。

過重な負担の軽減、基地の整理縮小を求める声が高まり、日米両政府は1996年4月、普天間基地全面返還で合意することになる。

しかし、返還は県内移設が条件だったことから当時の大田知事は受け入れを拒否、事態は曲折をたどる。

31年前、両親とともに事件に抗議する県民総決起大会の会場にいた西由良さん。生後11か月で参加した、初めての県民大会だった。

それからの混迷の30年は、西さんの人生の時間に重なる。

西由良さん
「なんで大人たちは何もしないんだろうと思っていた自分が、 なんで子どもたちのために動かせられないんだろうという責任のある当事者になっていく感覚があります」

だが、西さんの世代には葛藤があるという。

西由良さん
「何かやっても別に変わらないんじゃないかとか、何か変えられるという実感がもの凄く乏しい世代だと思うんです。だからといって何も考えてないわけではないので、すごくこの世代は葛藤しているところだと思います」

葛藤の中で立ち上げたのが、「あなたの沖縄コラムプロジェクト」。個人の体験を通して沖縄を語る場だ。約60人の執筆者にそれぞれの視点がある。

その一人、沖縄に暮らす玉元花菜さんは、事件があった95年生まれ。その時を語る母の言葉を忘れない。

玉元花菜さん
「生まれたばかりの私を抱っこしながら、母は少女暴行事件のニュースを聞いて、こんな小さい幼い子でも被害に遭う。私はこの子をどうやって守っていけばいいんだろうと、果てしない気持ちになったと言ってました」

基地の風景が日常に溶け込んでいた人生の時間。その異質さを痛感したのが、10年前の2016年、同じ20歳の女性がアメリカ軍属に殺害された残忍な事件だ。