すり替わった“本質”と日米合意の矛盾

玉元花菜さん
「被害者の女性と同じ年齢だったんですよ。そのときはすごい胸が痛んだのを覚えてます。ジョギングに出ただけで、そういう被害に遭ってしまう可能性があるっていうのは、沖縄の歪みのひとつなんだなって」

玉元さんのコラムにこんな一節がある。

『知り合いが集まる飲み会でおじさんが口にした言葉を思い出す。

「もう疲れてしまった」

基地問題の話になった際にポロッとでた一言だった。
どれだけの人が「疲れた」のだろうか。
私は声をあげても変わらない環境で変わらずに声を上げられるだろうか』

玉元花菜さん
「沖縄の人たちって、基地反対派と賛成派という分け方をされて、その二分の中で人間関係も、この人はどう考えてるんだろうっていう、薄氷を踏む思いで生活しているときもある。センシティブな話題がぱっと飛んできたときに、『ああ、どう返そう』みたいな。 一歩前進したかもって思ったら、新たな基地被害とか隠蔽されていたとかって新たに出てきて、上がったり下がったりで、そりゃどんどん心が削られていくし」

自らが生まれた年の原点を思う。

玉元花菜さん
「あの県民大会が起きた時にみんなが願っていたのは、(基地負担を)他に移せばいいやではなかったと思うんです。そもそもなくそうという動きだったはずなんですよ。それがいつしかどこかですり替えられて」

「どう減らすか」は、「どう移すか」に変質した。負担軽減を掲げながら、アメリカ軍の能力維持を前提にしていた日米合意の矛盾。

移設計画を進めた一人が当時の沖縄総領事、ケビン・メア氏だ。 総領事館の部屋に、自らのサインを入れた当時の完成図を飾るほど、思い入れがあった。

ケビン・メア元米沖縄総領事
「矛盾ということではない、と私は思う。二つの目的は両方が重要である。具体的に負担軽減ができて、同時に能力を維持して強化できるかという計画をしました」

辺野古が唯一の解決策とする日本政府と、新基地建設は新たな負担で軽減にならないとする沖縄県は、激しく対立してきた。

ケビン・メア元米沖縄総領事
「負担軽減にならないという計算、私は理解できません。歴代の知事たちがすごく妨害しようとしていた。もし協力したら、もう移設できたかもしれない」

だが、アメリカ軍内部には辺野古の滑走路が普天間基地より短く、機能が劣っているとして、辺野古の完成後も「普天間をキープすべき」とした、 いわゆる“普天間キープ論”が存在する。