新興部屋 苦労したのは地方場所の「宿舎探し」

2004年(平成14年)に新興部屋としてスタートした千賀ノ浦部屋だが、師匠として意外なところで苦労をしてきた。地方場所での宿舎探しだ。

舛田茂さん(元関脇・舛田山)「宿舎がね、なかなか決まらないんですよ。地方場所の宿舎が。それはもう数当たるしかないんですよ。僕なんか意外と運がいい方。福岡も朝潮が使ってたところ。朝潮(元大関。以前は若松親方)が独立して高砂になって、そこが空いてたから、じゃあ使ってよということで使ったんです。大阪はね、七尾商業高校の同級生、お寺の子が嫁に行ってるお寺を借りて。」

部屋経営の楽しさも苦しさも味わいながら歩んできた、「部屋持ち親方」としての生活。

地元石川県出身の力士や、ハンガリー出身の舛東欧、名古屋大学出身の舛名大など数々の力士を育ててきた。

弟子の一人 石川県七尾市出身の能登ノ波(のち鰤乃里) 右は舛東欧

舛田さんは、この7月まで長期入院をしていたが、退院後は引退したかつての弟子が集まったということで、今もそのつながりをうれしく思っている。

舛田茂さん(元関脇・舛田山)「1週間か2週間前かな、俺の退院祝いでみんな寄って。(舛名大も)名古屋から来ててさ。退院祝いで、じゃあ食事会やろうといって。舛東欧も来たし。集めやすい連中ばっかり集めてやったんじゃないですか。」