相撲の名人・若者頭の津軽海さんが認めた舛田山の“引き技”
津軽海さんは、戦後間もないころに初土俵を踏み最高位が十両の元力士で、引退後は若者頭として後進の指導にあたった。
若者頭(わかいものがしら)は力士の養成にあたる仕事を担い、相撲部屋に所属する。最近では元幕内の千代丸や、若隆景・若元春の兄で元幕下の若隆元が若者頭になっている。
津軽海さんは春日野部屋ではコーチ役を担っていたが、激しい突き上げを最大限にいかす方策を晩年の舛田山に授けた。
舛田茂さん(元関脇・舛田山)「「舛田な、持っていけなかったらこうやってはたくんだって」とか言ってね。「相手が怖がるから。そしたら、前も出られるし。前出るだけだったら余裕で相手は残すから」30歳過ぎてからかな、教えてもらったのは」

そして、春日野部屋付きの竹縄親方(元幕内・鳴門海)も舛田山の専属コーチのような役割を担った。竹縄親方は戦前に初土俵を踏んだ力士で、津軽海と同様にやせ型でいわゆる「ソップ型」だった。
舛田茂さん(元関脇・舛田山)「竹縄親方が何時ごろに来るか分かるじゃん。そうすると、俺もどっちかっていうとなまくらのほうだから、朝起きて、来る2、30分前から四股踏んだりして、来たころにはもう汗びっしりかいて。部屋には、元横綱の栃ノ海さんとか栃光さんとかいたけど、もう全然言わないもん。竹縄親方だけ。それで助かったというか、良かったのかも分かんないですね。答えは同じなんだけど、いろんなこと言われて分からなくなってできなくなる人も結構多いんですよね。だから、それが良かったみたい。そのころは学生相撲から来て強くしなかったら部屋の指導力が疑われる時代ですよね。」














