なお、今期5期目当初からの真意を含めた私の進退についての率直な思いは、令和4年10月議会後、生みの親であります大島元衆議院議長に、また11月には当時の自由民主党県連会長にお伝えしておったところであります。その際に江渡会長から慰留をいただきましたことは、誠に身に余る光栄と思ったところであります。また昨日思いがけず、自民県議団の有志の皆様方から同じく慰留いただいたことは本当に感謝するところであります。
 話を元に戻しますが、その江渡会長にお伝えした際、江渡会長からは「時間とタイミングを大切にしたい」と。常々申し上げておりますが、政治でありますとか、この選挙局面ということでありますから、そのことは非常に私もわかります。そういったお話を受けまして、その考えに沿うところとしたところでございました。またその後、現在の津島県連会長からもまた皆さん方もご存知のように、会長としては「センシティブ」という言葉を使っていましたが、そういうセンシティブなことでであり、江渡会長と同じく時間とタイミングということで、同様の意向を賜りまして、長年の協力関係のもと、私のこの退任について語るべき時期を熟考するに至ったわけでありますが、私といたしましては、いよいよ当初予算編成時期ともなりまして、今回の退任に向けての表明ということに至ったところであります。
 繰り返しとなりますが、この5期20年、平成15年の知事就任の際、常に県民の目線で、そしてまた生活者の視線に立ち、全ては青森県民のため、ふるさと青森の再生・新生のために身を捨つるする覚悟を持って愚直に努力していくことを誓い、以来その思いを胸に刻み、その姿勢を忘れずに知事の職務に日々、邁進してきたところであります。この思いには一点の迷いや曇りもなく、こんにちまで全力で駆け抜けてきたところであります。知事としても、いち政治家の信条としても私自身、誇りとするところであります。

 私は県民の皆様方が、そして私もこよなく愛するこの青森の地で将来にわたって安んじて暮らしていけるよう元気と幸せ、そして確かな希望が広がる持続可能で魅力ある青森県づくり、そのタスキは今や未来へと引き継がれていくべきものと考えております。私が託された区間は6月28日までと終盤を迎えることとなりますが、私たち青森県の将来を見据え、そして確かな未来を信じ、最後の最後まで、一意専心、全力でこれまで同様、取り組んでいく、そのことはお誓い申し上げたいと思います。またその覚悟でもございます。
 さて、万機公論に決すべし。今後とも県政に期待申し上げますのは、意見や考えの違いを超え、皆で一貫して真剣に議論を尽くし、輿論(よろん)を得ていく。幾多の困難や危機と対峙しながらも皆で力を合わせ、克服し、県と県民と県議会が力を合わせて拓くであろう輝かしい未来であります。本日、こうして語らせていただきましたが、最後に私が駆け抜けましたこの5期・20年が青森県の確かな未来の礎となることを信じ、また、そのことを切に願い、退任に向けまして、あるいは不出馬ということに関しましての私からの弁とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。