石川県から女子挺身隊として動員されていた52人が犠牲に

当時、東洋一の兵器工場と言われた愛知県豊川市の豊川海軍工廠。

1945年8月7日、アメリカ軍の空爆を受けおよそ2500人が死亡、女子挺身隊として石川県から動員されていた52人も尊い命を落としました。

西村八重子さん「(爆撃にあった時)いつもより怖いなと思って、私は正座して地べたに(ふせた)あとのみんなは『きょうの音、大きいわ」と言った後みんな死んじゃった。

空襲を受けた時の深い傷跡は、今も西村さんの右腕に残っていました。

西村八重子さん「爆弾の破片がここに刺さったけど腱は何ともなかった。手を伸ばして居たら、手はなかったかもしれない」