「息子の痕跡を探す旅」すら奪う重い病ー終わらない遺族の苦悩

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心身をむしばむ重い病は、残された夫婦から「ささやかな救いの時間」すらも奪っていきました。「息子との思い出の地」を巡ることができなくなった現在の過酷な状況を、寂しげにこう語ります。

(堤 敏さん)
「途中で帰ってきてしまうということもありました。家内は看護師なんですね。当時、家内は勤務がシフト制、3日仕事して1日休むっていうような、そんな勤務でした」

「(家内は)休みで家で1人でいると、

『家ん中静かすぎて、落ち込んでしまうねん』

そう言われたことあったんです」

「家内を1人で家に置いておくのがほんとに心配で、事件後数年間は、私も家内の休みに合わせて仕事を休んでいました。家内も、看護師でありながら、あのとき自分は何にもできなかった、何にもしなかった、と自分を責めています」

「事件に巻き込まれて被害に遭うと、被害を受けたその人だけではなくて、その家族にまで被害が及び、人生まで変えてしまいます。残されたきょうだい、子どもたちもそれぞれ心に傷を抱え、人生が変わりました」

「私は事件後、体を壊して病院通いを続けていたんですけども、令和元年に、いよいよその痛みに耐えきれなくなって、入院、手術、それを繰り返して、その年に仕事を早期リタイアしました」

「家内はストレスが原因と思われる病気になって、現在も治療中です。今でもかなりしんどい思いをしてると思います。難病指定にもされるような病気です」

「事件後は、家内と2人で息子と出かけた場所を巡りました。息子との思い出がある場所や、そこに行くまでに立ち寄った先、高速道路のサービスエリアまでも巡りました」

「そこの場所に行っては、

『ここで将太とあんなことしたね、ここで将太はどうやったね』、

そんなこと言って息子の痕跡を探して回りました。それが病気のために、遠出をする自信がなくなって、いつからか、よほど調子が良いとき以外は出かけなくなりました」