「年齢を言い訳にせずロス五輪を目指して」

深津は年齢を言い訳にしない。

ウクライナ戦

「僕の兄貴(37歳でパリ五輪に出場した旭弘)だって、あの年齢まで日本代表として、第一線で五輪に行きましたからね。37歳までトップでトスを上げ続けていたので。 僕も、もしこのままコンディションを維持して次のロサンゼルスオリンピックに行けたら、兄貴とほぼ同じ“38歳”で迎える。そういう意味では、僕は“兄貴に大きな夢をもらった”。兄貴が身をもってコートの上で証明してくれたので。 だから僕も、年齢を言い訳にせず、ロス五輪を目指して本気で頑張りたいな、って強く思っています」

この7年は、ただ待っていた時間ではない。
誰にも見えない場所で、磨き続けてきたものがある。

技術。そして、その技術を支えるメンタル。

「自分の心の中で求めてきた『理想のプレー』、自分が目指すべき『セッター像』っていうものがある。単なるキャプテンシーとか人間性とかの精神論ではなくて、純粋な『ハンドリングや配球という、トスの技術の面』というところが、ハッキリと『自分の正解の形』になって、体に染み込んできたのが、だいたい31歳くらいの年齢の時で。それまでの20代の時期っていうのは、コートの中でずっと自分のトスワークに不甲斐なさを感じて苦しめながらというか、『どうすれば世界を相手にアタッカーを活かせるんだろ?』って暗闇の中を探りながら、色んなことを手探りでやってきた時期だった。20代の苦しみが、31歳を過ぎてようやく形になって。それが、今のこの日本代表の最高の舞台でも、高いクオリティでブレずに出せるようになってきているのかな、と。本当に、少しずつとは思いますけど、自分でも技術の進化を感じています」

その暗闇を抜けた先に、深津の“正解”があった。

「こだわってきたのは、セッターの手から放たれる『ボールの通る空中での軌道(位置)』。あとは、トスを上げる瞬間の、『ボールを手からボールが離れる、タッチの球離れの質(ハンドリング)』 球離れの速さと柔らかさのバランスを、自分の中で極限まで追求して現役をやっている。 僕がトスで一番求めてきたのは、『自分の手からトスが離れた初速のスピードは、相手のブロックを惑わせるためにもの凄く速く。だけど、スパイカーが空中でボールを打つインパクトの瞬間には、まるでボールが空中でフワッと“止まっている”かのように、アタッカーが一番叩きやすい極上のタメを作ってあげること』。そういう質のトスを、僕はバレー人生でずっと求めてきた。それが今のこの代表チームに100%合うかどうかはわからないけど、合わせてくれる選手ばかりだからこそ楽しみ。あとは悪い時に、セッターである自分と中心選手でしっかりコミュニケーションをとってチームを立て直せるようにすること。若い時にできなかったコントロールはここでもできる。若い頃の失敗がたくさんあったからこそ、今の自分のメンタルがあるんですよね」