太平洋戦争末期、石垣島から台湾に向かう2隻の疎開船に乗って犠牲になった人たちの慰霊祭が石垣市で行われました。

慰霊祭には、遺族など関係者およそ40人が参列し遺族会の宮良芳明会長が「戦争を繰り返さないという決意を次世代につなぐことが、慰霊祭の大きな役目のひとつ」と挨拶しました。

1945年6月30日、石垣島を出発した2隻の疎開船第一千早丸(ちはやまる)と第五千早丸(ちはやまる)は7月3日、尖閣諸島沖でアメリカ軍機の銃撃を受け、第五千早丸が沈没。第一千早丸は魚釣島(うおつりしま)に漂着し、45日間にも及ぶ島での生活により餓死する人が出るなど80人余りが亡くなりました。

慰霊祭開催にあたり、高校生が慰霊碑の清掃を行ったり、近くの小学校のPTAが会場づくりを手伝うなど、支援の輪が広がりつつある一方、生存者の高齢化により慰霊祭への生存者本人が参列できなくなるなど、記憶の継承をめぐる環境は年を追うごとに厳しさを増しています。