応募のきっかけは“父との別れ” 被爆者の父が原爆ドームに込めた思いとは
戦前、産業奨励館から300mの本川町に住んでいた一弘さんの父・寺尾興弘さん。自宅からは産業奨励館のドーム屋根部分が見えていました。しかし1945年7月、興弘さんは「父・元一さんが戦死した」との知らせを受け、爆心地からおよそ4kmの旧祇園町に疎開し、8月6日を迎えます。
寺尾興弘さん(2015年取材時)
「本当に奇跡、2週間前に偶然疎開して助かった。知っている人は皆亡くなっているから、逃げて助かったような気持ちを先では思う。そういった後ろめたさもあった」

命は助かったものの、終戦後は苦難の連続だったといいます。興弘さんは悩み事があると川の対岸から原爆ドームを見つめ、父親の姿を重ねたそうです。
興弘さんは定年退職後、趣味のステンドグラスを使って原爆ドームの模型を完成させました。しかし、傷ついた原爆ドームの姿を見続けているうちに、今度は「生前の元気な父を偲ぶには立派だった産業奨励館を作りたい」と思うようになりました。
寺尾興弘さん(2015年取材時)
「難易度が高いから1年以上は躊躇した。だけど、どうしても原爆ドームが父親に見えてきたから、3歳半で別れた父親を再現したかった。私には産業奨励館が、父親がどんと立っている姿に見えるわけです」

興弘さんがよみがえらせた産業奨励館。原爆ドーム前で展示すると、いつも年齢・性別・国籍を問わず、多くの人が集まっていました。














