「頭が真っ白に」―遺族として立った、異国の証言台
事件から十数年も経過しながらも、続いていた男の裁判。伊東さんはこれまで外務省を通じて現地当局からの情報を得ていましたが、途中から自身で直接現地当局に連絡を取るようになったと言います。
(伊東秀彦さん)
「直接やったほうがいろいろスムーズかなということで、途中からは直接アメリカの検察庁にあたる機関と私でやり取りをしていました」
「当時も今のような便利な翻訳アプリみたいなのがありませんでしたので、アメリカの検察官はメールでのやり取りをしてくれていたんですが、一旦私が日本語で打ったメールを通訳さんに英訳してもらって、それを向こうに送って、向こうから英語で返ってきたものを通訳さんに和訳してもらう、こういったことを何度か繰り返していました」
「裁判はなかなか難しい流れをたどっていて、一審から二審に移ったけれども、二審のほうで細かい手続きの関係でまた一審に差し戻して、また陪審員の裁判やり直しということがありました」
「事件は1994年でしたが、2012年に再び陪審員の裁判が行われ、その際も陪審員のメンバーがもちろん変わっていたため、現地当局から改めて『家族から、いわゆる情状証人として家族の思いを伝えるべく証言台に立ってほしい』という依頼がありました」
「もう両親はだいぶ年老いていましたし、精神状況で当然行かせることはできないと思いましたので、当時2012年はもう私も弁護士になっておりましたので、『じゃあ私が行くよ』ということで、私が渡米しまして、情状証人として現地の法廷に立ちました」
「私自身弁護士なので、法廷は慣れているから比較的そこは大丈夫かなと自分なりに思って行ったんですけれども、いざ自分のこととして証言台に立つと、もう本当に頭が真っ白になりました」
「良くも悪くも、事前の練習というのはあまり検察官はしてくれなくて、ほぼぶっつけ本番みたいな形で、『なるほど事前の練習って、やっぱり依頼者にとっては大事だな』とか当たり前のことを感じたりもしていました」














