兄・拓磨さん「アメリカで充実した生活」

伊東拓磨さん(撮影時18)

映画の夢を追って海を渡った兄。限られた連絡手段の中でも、その言葉の端々から、兄・拓磨さんが着実に夢への道を歩んでいることが伝わってきました。

(伊東秀彦さん)
「留学後に、兄からたまに連絡が来るんですけれども、当時はメールだとかチャットツールというのがなかったので、もっぱら連絡手段というのは電話でした」

「時差の関係で、夜中というか早朝というかに電話がかかってくるんですが、それはそれは生き生きとしたものでしてー

『アメリカは実力主義で、厳しいけれども、自分の好きな映画の勉強ができて楽しい』とか、

『英語力もまだまだだから、課題を終えるのが夜中の1時、2時になることも少なくないけれども、好きなことやってるから苦にならない』、

『なるべく日本人同士で固まらないように、積極的にアメリカ人や外国人と交流してるんだ』

というような様子を、生き生きと語っていました」

両親「長男が本当の居場所をみつけた」

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言葉の壁や厳しい現実に直面しながらも、兄・拓磨さんは夢の場所で確かな手応えを感じていました。遠く離れた日本からも、その成長は手に取るように伝わっていました。

(伊東秀彦さん)
「兄がインドア派だったのと違って、私は当時からサッカーをやっていたんですが、1994年にアメリカでワールドカップが開催されるということで、当時はまだ開催予定の段階だったんですが、兄が現地でサッカーのTシャツを買って私に送ってくれたりもしていました」

「兄自身、病気や学校生活で苦労してきたということもありまして、両親としてはこういった連絡を受けるたびに、迷ったけれども、アメリカ留学を了承してよかったと」

「長男坊が、ようやく本当の居場所を見つけたんだな、これまでの本人の苦労が報われたんだなという形で、しみじみと喜んでいたものでした。ところが留学からわずか7か月後に事件に遭ってしまいました」

拓磨さんが夢に向かって充実した日々をすごしていたなか、突然、家族のもとに「兄が事件に遭った」と連絡が入ります。