「今後は名前を変えたい」と告白していた…

その膨大な資料の中から「看護計画」に書かれていた目標は、「心身の安静をはかり社会生活に適応できるよう援助する」ということだった。
グアムで捕らえられた当初の横井庄一さんは、収容された病院では「亡霊」に悩まされた。
心の安定を何としても早く取り戻す必要があると、申し送り事項としてグアム・メモリアル病院から当時の国立東京第一病院には伝えられていた。

500枚の看護記録を息を飲みながらめくっていくと、さらに興味深いことが書かれていた。
横井さんは入院早々に「今後は徳を積みたいので名前を『庄一』から『徳積』に変えたい」と看護師にもらしていたのだ。
まさか、名前を変えたいと言っていたとは…

終戦後も続いていた横井さんの戦争
看護記録を見ていくと、とにかく眠りが浅いことが問題だったようだ。
横井さんは睡眠2時間から3時間で「もう十分だ」と言う入院当初の日々。
看護師たちは睡眠剤を使ってでも「とにかく寝てくれ」と言う。
しかし、10日もたてば徐々に横井さんの睡眠時間は増えていき、6時間ほどは得られるようになっている。
身長は約173センチ。体重は52キロから徐々に56キロほどにまで増えていった。

妻・美保子さんはこう言っている。
「戦争ってだれが始めたんでしょうね。天皇陛下の御為にって天皇陛下が始めたのかな?それともだれが始めたのかな?とにかくみんな大事にして育てた子どもを泣く泣く兵隊に出したわけですからね。戦死したとて木の箱に石ころが入って帰ってきたっていう…」