震災の語り部として「悲しかった出来事で終わらせない」
年末年始やゴールデンウィーク、夏休みの期間におじいさまの住んでいる町野町に家族で帰省することが恒例となっていた、宮本さん(仮名)は、能登半島地震が発生した2024年の1月1日、能登町黒川の親戚の家での宴会中に地震の被害に遭いました。
地震の被害で孤立集落となった能登町黒川から、同じく孤立集落となった町野町に戻ることは出来ず、1/5に孤立集落が解消するまで、その日からビニールハウスと車中泊で過ごしました。孤立集落が解消した後も、大きな被害を受けて崩落した道などをひたすら迂回し、14時間かけて大阪に帰ることとなりました。
その後、町野町も孤立集落が解消し、高齢者を対象とした二次避難が進みましたが、おじいさまは体調を崩して急逝。発災から4か月後の5月のことでした。家族を喪い、落ち込む様子を見て、高校3年当時の担任の先生は、宮本さんに関西大学社会安全学部の受験を勧めます。
日本で最初に社会安全学の理念を打ち出した最高学府である、関西大学社会安全学部で学び、自らの体験を活かすことで、宮本さんは、「地震の思い出を『悲しかった出来事』で終わらせない」でいられるのではないかと考え、同校を受験、見事に合格します。
大学1年生となり、授業の一環で神戸市の「人と防災未来センター」で研修を受けていた宮本さんは、係の方と意気投合し「神戸の小学校で語り部をしてみないか?」と、声をかけられ、「能登半島地震の語り部」として、12月に神戸市立湊小学校の4年生4クラスを対象とした出前授業で講演を行いました。
講演では、「あの日能登でおきたこと」、「あの日の能登から学んだこと」、「避難生活で大変だったこと」、「いま、未来にむかって頑張る能登の姿」を自分の体験を言葉にして伝え、生徒のみなさんには、「周りの人を大切にすること」「大きくなったら能登に遊びに来てね」とふたつの約束をお願いしました。














