あれから10年 明るいニュースの陰で見えない現実も

先月20日、地震から10年を前に県道の4車線化事業が完了し、全線が開通しました。住民からは「益城町発展の源になる」など多くの期待の声が聞かれました。真新しい道路、立ち並ぶ新しい家。町には「復興ムード」が溢れています。

4車線化事業が完了 先月20日            

明るいニュースはほかにも。

県は仮住まいをしていた人たちについて、生活再建の見通しが立ったと発表しました。地震で自宅が被災し、仮設住宅や公営住宅などに入居した人は2017年のピーク時には「2万255世帯、4万7800人」いましたが、現在その人数は「2世帯4人」となっています。

その「2世帯4人」は益城町の土地区画整理事業で移転が必要になったため仮住まいを余儀なくされていましたが、先月、移転先の宅地が県より引き渡され、生活再建の見通しが立ったのです。

ただこの区画整理事業は、必ずしも順調に進んでいるとは言えません。県は来年度末までの完了を目指していますが、県によりますと権利者308人のうちすでに宅地が引き渡されたのは195人。残る113人はこれからで、しかもそのうちの一部の人とは、今も補償に関する交渉が続いています。

先月、私は小嶺さんの自宅を訪ねました。地震から10年を前に話を聞きたかったからです。しかし、そこで待っていたのは小嶺さんが去年12月に亡くなったという知らせでした。

「元気だった小嶺さんがまさか」。私は衝撃を受けると同時に10年という時の流れの非情さに言葉を失いました。

夫・隆さんの仏前で 妻のひろ子さん 先月     

また、ひろ子さんはいまだに県から「工事がいつ始まるのか」「引っ越しはいつになるのか」について連絡はないと教えてくれました。私は小嶺さんの仏前で手を合わせながらふと、去年4月に小嶺さんを取材したときのことを思い返していました。

筆者(左)の取材を受ける小嶺隆さん(右) 2025年4月

小嶺さんは「災害に負けない町を作ってほしい」との気持ちはある一方、「もう少し、行政には住民のことも考えて欲しい」と自らも年を重ねる中でまだ先が見えないことへの憤りを吐露していました。そんな小嶺さんはついに再建した家を見ることが叶わなかったのです。

県は「創造的復興」を進めますが、小嶺さん家族はまだ「未来」が見えません。ひろ子さんは「区画整理事業が完了する予定があっても、なかなかその通りにはならないのではないか。そのうち私も…」と不安を口にしながらも、「夫の分まで再建を見届けなくては」と自宅再建への道のりを歩いています。