復興事業の影響で再建した自宅の移転を迫られる被災者も
地震から1年が経った頃、私は益城町の仮設商店街でドローンやプラモデルを販売していた小嶺隆さん(当時67歳)に出会いました。小嶺さんがドローンを操り、空からふるさとの姿を記録していた姿に興味を持ち、取材をお願いしたのがきっかけでした(冒頭の益城町の写真は小嶺さんがドローンで空から撮影)。
しかし、後に小嶺さん自身も再建に向け、翻弄されている1人であることを知ります。
小嶺さんは地震で店舗兼自宅が全壊。当時、夫婦で仮設住宅での生活をおくりながら、早期の自宅再建を目指していました。しかし、そこに立ちはだかったのが熊本県の「創造的復興」の象徴でもある「県道の4車線化」と「益城町の区画整理事業」でした。
益城町の中心部と熊本市を結ぶ、県道・熊本高森線は地震で倒壊した家屋などが県道を塞いだことで救急車や消防車の到着に時間がかかりました。県は同じ轍を踏まないために、創造的復興に向けた事業の1つとして、県道を拡幅する4車線化工事と防災公園や宅地などを一体的に整備する区画整備事業を推し進めていたのです。
益城町の県道沿いにある小嶺さんの土地はこの2つの工事の対象となっていましたが、行政側が対象の範囲を示さなかったため、自宅を再建できずにいました。
ただ、そうした中でも小嶺さん夫婦には自宅再建を急がなければいけない理由がありました。障害があるため地震以降、施設で暮らしていた次女・典子さんと再び一緒に暮らしたいとの思いからでした。
地震から2年を経て、小嶺さん夫婦は意を決し、自宅を再建。建てた場所は、4車線化の工事などに被らないように慎重に決めました。
「やっと家族で生活ができる」。典子さんのためにバリアフリーにした新居を見て、小嶺さんの笑顔は希望に満ちていました。
しかし、その喜びもつかの間。当初、県から聞いていた計画案が変更となり、小嶺さんの家のほぼすべての庭が区画整理事業の対象となっていることが分かったのです。
再建後変更された計画案には、庭にそれまでなかった道路が描かれていました。
妻のひろ子さんは「県からは何も聞かされていなかった。近所の人に教えてもらって気付いた」と振り返ります。せっかく再建した自宅も移転しなければならず、「終のすみか」として建てた自宅はその瞬間から「仮の住まい」となったのです。














