2016年4月に2度にわたって震度7を観測した熊本地震(死者は関連死含め270人超)からまもなく10年になる。2週にわたって地元テレビ局記者による寄稿をお届けする。初回は、熊本県が進める「創造的復興」に翻弄され、いまだ再建途中にある被災者について、熊本放送・メディア総局報道センターの鬼塚龍史記者(県政キャップ)が報告する(冒頭の写真は2017年撮影の熊本県益城町)。

「記者初日」に熊本のすべてが一変

2016年4月14日。熊本市は汗ばむほどの夏日でした。研修を終えたばかりの新入社員だった私は、この日、報道部へ配属されました。初めて手にした「記者」という肩書きの名刺。高揚感で「にやり」と頬が緩んだのを覚えています。

「世の中で起きていることを見て、知って、伝えたい」と報道記者を志し、就職活動をしていた私にとって、記者としてスタートラインに立った記念すべき一日…になるはずでした。しかし、この日、熊本のすべてが一変するのです。

歓迎会の最中の午後9時26分。体験したことのない大きな揺れ。熊本を震度7の揺れが襲いました。混乱の中、ただただ必死にカメラを回しながら会社に戻りました。

歓迎会の最中に最初の揺れに襲われる 2016年4月14日     

私に任されたのは消防や警察、病院などへの電話取材でした。ふとテレビ画面に目を移すと、映し出されていたのは変わり果てたふるさとの姿。「現場に出たいのに出ることができない」己の未熟さや無力さに、ただただ歯がゆさを感じていました。

初めて現場に出たのは本震から4日後、震度7を2回観測した益城町の避難所でした。

「今、何が必要ですか?」と差し出すマイクに疲れ切った表情の被災者からは時に厳しい視線を向けられました。中には嫌悪感を表す人もいました。

「悲しみと不安の真っただ中にいる人たちへマイクを向けて良いのだろうか」と何度も葛藤しながらも、「被災した人が何に困っているのかを伝えたい」というその使命感だけが私を突き動かしていたのを覚えています。

最初に取材した益城町の避難所