50年前の“チリ津波”震災遺構は何も残っていない

南三陸町では、職員43人が犠牲となった町の防災対策庁舎の保存をめぐり意見が分かれましたが、佐藤さんは、震災の教訓として後世に残すことを決断しました。

佐藤仁 前南三陸町長:
「あの当時はね、震災直後から記者会見やっているときに、この防災庁舎は町長どうすんだっていうのはずっと言われてました。
私は、町長という立場ではなくて、個人、佐藤仁として話させてもらってたのは、
私が、1960年のチリ津波があって41人が亡くなってるんです。
そのときの津波の震災遺物とか、震災遺構って何もないんですよ。
その50年後にあの東日本大震災が来るわけですよね」

「我々の防災計画って、その時は6mが防災計画の基本になっているんですよ。
ところが、南三陸町で一番津波高いところは24mです。4倍です。
防災庁舎が16mですから、もう3倍ぐらいぐらいの津波が来てるので」