親友の実家・鳥取で農作業を体験

久米さんが1979年にTBSを退社しフリーになってからも、二人の親交は続いた。仕事の相談も折に触れてしていたというが、林原さんの一番の思い出は、久米さんが「ニュースステーション」のキャスターになって5年ほど経った1990年の夏休みの出来事だ。

「久米さんはお父さんがサラリーマンで、早稲田の政経学部卒のエリート。ベンツが好きで、夏休みにスイスとかヨーロッパをベンツで走るのが一番の夢だった。しかし、ニュースステーションはエリートだけが観るわけじゃなくて、一般の人たちが観る。このままじゃ駄目になると思ったのね。要するに、農業や漁業のことも知らないといけない。それで、『夏休みにオレんちに来い』と」

林原さんの実家は鳥取の農家。久米さんはそこで農作業などを手伝うことになった。

「おふくろに、『久米さんが夏に来るって言っているけど、有名人だから他の人に絶対言うな』と言ったんだけど、久米さんが初日に家に着いたら、家の前の道に100メートルくらい村人が列を作っていた。それで、『誰にも言うなと言っただろ』とおふくろに言ったら、『私、言ってないよ』と。『それならなんで道に並んでるんだ』と言ったら、『私、一人にしか言ってないもん』って(笑)」

そんな状況で久米さんは「隣村までは無しにしようね」と笑いながら、並んでいた人全員にサインのサービスをしたという。

そして、久米さんはそれから数日間、林原さんの実家で、雑草刈りや牛のフンの始末などの農作業に従事した。

「最初は、『もうやだよ、お前』と言ってたけど、彼が途中から言い始めたのは『くたびれた~』って。そう言いながら、心地いいんだよ、たぶん。疲れたから嫌だと言わなかったから。牛のフンの始末も手についたりして『わぁ、臭いなぁ』と言いながら、全部自分でやった。こいつはすごいなと思った」