倉本聰氏に頼まれた過酷な作業

林原さんは、ラジオ時代にラジオドラマ(「羆嵐」)の脚本をお願いしたのがきっかけで脚本家の倉本聰氏とも親交が深い。そのつながりで久米さんも倉本氏の拠点である北海道の富良野にたびたび足を運んでいたという。

林原さんは、倉本氏が俳優・脚本家を養成する富良野塾を立ち上げた1984年前後に久米さんが富良野を訪れたときのエピソードも明かしてくれた。

「倉本さんが『久米さん、時間あるの?』って聞いて、『ありますよ。何かお手伝いしますか』と答えたら、『ちょうどいいやつがある』と。倉本さんは富良野塾の話をして、『うちはさ、まず肉体労働から始まるんだ。久米ちゃん、いいところに来たな。穴掘ってよ』って」

久米さんは「ええっ」と反応しつつも、「先生の言うことだったら何でもやりますから」と引き受け、富良野の森の一角の広くなっている場所に、つるはしなどの道具を使って、深さ1.2メートルくらいの穴をひとりで掘り始めたという。

「穴掘りが途中まで来たらヘロヘロになって、『先生、(目標まで)まだこんなにあるんですけど』と。倉本さんは『まだそんなもんじゃ駄目だよ』と言ってさ。そしたら、久米ちゃんがぽそり、『オレ、有名人だよな』って(笑)」

有名人なのに誰も見ていないところでひたすら穴を掘り続けた久米さん。結局、2~3日かけ、ひとりでやり遂げたという。

「久米ちゃんも意地だな。ここでやめたなんて言われたら、先生になんて言われるかわからない。それだけは嫌だから、ひたすら必死になってやってた」

久米さんが苦労して掘った富良野の穴。どんな目的の穴だったのか思い出せなかった林原さんは、先日、倉本氏に電話して尋ねたという。

「『あの穴はなんのための穴だっけ?』と聞いたら、倉本さんも『あれ、なんだったけな』って(笑)」

久米さんが林原さんに贈った直筆サイン(「新・素朴な疑問」の見返し)

二枚目の下に三枚目の素顔

林原さんにとって、親友の久米さんは、どんな人だったのだろうか。

「いいやつだった。人から生まれつきの二枚目と思われているじゃない。でも三枚目のところがあるんだよ、結構あいつ」

「まわりにはいろんな人がいるじゃない。それを分けるとふたつタイプがあって、『有縁』と『無縁』っていう。縁が有るか無いか、これは神様が決めているみたいな気がするんだよ。縁が有る人って、こいつは大事にしたいって。少々失敗したり、間違ったりしても助けるのはオレの役目だと思うし、久米ちゃんはそのうちの一人。地位が上だとか有名人だとかは関係ないんだよね。友達として、いいやつなんだよ」

〈久米宏(くめ・ひろし)氏の略歴〉
1944年 埼玉県生まれ。
1967年 早稲田大学政治経済学部卒業後、TBSにアナウンサーとして入社。
テレビ番組「ぴったし カン・カン」、「ザ・ベストテン」などで絶大な人気を得る。
1979年 TBSを退社し、フリーの司会者・キャスターへ。
1985年~2004年 テレビ朝日系『ニュースステーション』メインキャスター。
2006年~2020年 TBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』
2026年1月1日 死去(享年81)。
*TBSラジオは2月7日(土)13時から『特別番組 久米宏 ラジオなんですけど』を編成。過去の音源も放送する。

〈林原博光(はやしばら・ひろみつ)氏の略歴〉
1943年 鳥取県生まれ。
1968年 TBS入社、ラジオ・テレビ番組の制作にあたり、のちに人事部長。
1980年に演出したラジオドラマ「羆嵐」(主演・高倉健)は第7回放送文化基金賞番組賞を受賞。
2003年 定年退職。
2006年より脚本家の倉本聰氏が主宰する「NPO法人 富良野自然塾」の副塾長。
2023年より「奥大山自然塾」エグゼクティブプロデューサーも務める。

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。