「遠因死」として刻まれた318人の名前 「気持ちにも区切りがついた」

2000年に神戸市中心部の公園に設けられた追悼施設「慰霊と復興のモニュメント」。当初は、建物の倒壊などによる「直接死」と「災害関連死」の人々の名前のみが刻まれた。

しかし、2003年からは“震災の影響が少なからずあった”と遺族などが考える死を「遠因死」と定義づけ、銘板を掲げられるようになった。

モニュメントの運営を担う堀内正美さんは、そのきっかけについて、こう話す。

モニュメントの運営を担う 堀内正美さん
「震災死として認定されている方たちが、『お宅もですか』『うちはこうで…』とみんなが共感している時に、語れない方がいた。『いや、うちは病気をこじらせて…でも震災死ではないし…』と。でもどこか寂しそうな、そういう姿が各所で見られたので。でも僕たちにしてみれば一緒じゃない?だったらみんなが一緒になって、たった1枚のプレートを貼ることで、精神的に少しでも楽になるんだったらと」

母・キヨ子さんが災害関連死と認められなかった早川さんも、2007年にモニュメントに銘板を掲げた。

早川真さん
「(母が)震災で亡くなったと認められなかったのが、ある意味悔しい、悔しいというか、解せないというか、納得いかないというのがあったんですけど、名前を入れることで、自分の気持ちも区切りがついたかもしれない」
「僕が亡くなっても、名前は残るわけですからね。そこは良かったのかなと思う」

モニュメントには現在、318人が「遠因死」として名前を刻まれている。その中には、生後間もない赤ちゃんもいた。