31年前の1月17日に発生した、阪神・淡路大震災。死者6434人とされていますが、そこには含まれない「遠因死」と呼ばれる人たちがいます。震災に人生を翻弄された知られざる犠牲者と遺族の悲しみを取材しました。
「震災がなければ母はもっと生きられた」阪神大震災の死者数“なんで、6000何人って、毎回言うてるんや”

神戸市中央区に住む早川真さん(64)。
「震災がなければ、母はもっと生きられた」。そんな思いを抱き続けている。

早川真さん
「94年4月って書いているから、亡くなる1年前ですね。すごく明るくて、おおらかな人で、みんなから好かれるタイプの人でしたね」
厳しくも愛情深かった母・キヨ子さんは、孫たちとの時間を過ごすのを楽しみにしていた。
しかし、あの日、人生が暗転する。

31年前の1月17日。マグニチュード7.3、最大震度7の激震が神戸を襲った。戦後初の大都市直下型地震、阪神・淡路大震災だ。
キヨ子さんは無事だったが、自宅が半壊し、近くの避難所に身を寄せた。気丈に振るまっていたキヨ子さん。しかし、十分な暖房もない環境と、持病の高血圧の悪化が体をむしばんでいった。
早川真さん
「『寒いわ』と。寒いから、たくさん服や毛布とかを絡めて寝ていたのを覚えてますね」
「『薬がないねん、それが困ってんねん』という話でしたね。血圧の薬飲んでなくて、寒い所におって60過ぎていたら、それはもう病気になって倒れてくださいというような状況ですよね」
地震から約3か月後、キヨ子さんは脳出血で倒れた。さらに不運が重なる。医師の不足や、満床状態などを理由に、受け入れてくれる病院がなかなか見つからず、たらい回しとなったのだ。
ようやく受け入れてもらえた時には、すでに倒れてから3、4時間も経っていた。手術の甲斐もなく、キヨ子さんは3か月後に息を引き取った。

早川真さん
「地震って何だろうとか。“なんでうちの母親が死ななあかんねん”みたいなね。そんなことはずっと思ってて」
「“あの時、もう大阪連れていった方が良かったんじゃないか”“病院に診せた方がよかったんじゃないか”とか、“薬を僕がもらってきて渡していたら何とかならなかったか”とかね」
「僕自身の後悔かな。助けられた命だったんじゃないかと」
“過酷な避難環境が母の死を招いた”と考えた早川さんは、災害関連死への認定を神戸市に求めた。
災害関連死は、阪神・淡路大震災で初めて認められた。各自治体が因果関係があると判断すれば、公式の死者として扱われ、弔慰金が支給される。
この震災では900人あまりが認定された。しかし、早川さんの申請は却下。神戸市からは、理由も説明されなかった。
阪神・淡路大震災の死者数は6434人とされる。その中にキヨ子さんが含まれていないことに、早川さんは割り切れない思いをいまも抱いている。

早川真さん
「6434人が亡くなったのではなく、もっとたくさん人が震災で亡くなっているんですよね。“あの地震がなかったら、誰々は死なんかったのにな”というのは、当然みんな思っていると思います」
「だから、(6434人という)数字をニュース、報道でも繰り返し言うけど、“なんで6000何人って、毎回言うてるんや”と思う人が、何十人、何百人、何千人といるのではと思う」














