3年で迎えた駅伝シーズン…黒田選手の出雲の出来は「最低限」

私が取材を初めて以降、駅伝における黒田選手個人の走りで、本人から“悔しさ”を最も感じたのは、3年時の出雲駅伝かもしれない。

「学生三大駅伝全てで優勝を」と臨んだ2024年10月の出雲、黒田選手はエース区間の3区を任された。しかし、3位でタスキを受け取ると他大学の激しいマークにあう。

(黒田朝日選手)
「後ろにつかれるというかマークされていて、終盤まで集団で走るという展開になった。自分の走りに集中できませんでした。」

【画像⑤】「自分の走りに集中できなかった」

最後は並走していた駒澤大学の山川拓馬選手を突き放し、先頭でタスキ渡し。
城西大学のヴィクター・キムタイ選手、山川選手に次ぐ区間3位の好走ではあったものの、青学は総合3位。エースとして意識される難しさを語った。

(黒田朝日選手)
「(出来は)最低限というところ。昨年のレースは、前と差が離れているところからただ追いかければいいというレースだったんですけど、今回は先頭を狙って勝負するという展開だったので。これが駅伝の難しさかなというのは感じました」

「やっぱり任される区間もエース区間になってくるので、しっかりそこで結果を残さないといけないというところでは去年よりも難しいかなと思います」

【画像⑥】出雲を終え悔しそうな黒田選手

私が黒田選手から大学駅伝において「自分の走りに集中できなかった」という言葉を聞いたのは、後にも先にもこの時だけだった。しかしこの後、黒田選手は本来の走りを取り戻し、快進撃を続ける。