【第一話】から続く
青学主将・黒田朝日 「これちょっと終わったかな」と思っていた初の箱根路
青学を代表するエースに
2年時、学生三大駅伝で活躍した黒田朝日選手は3年になってから、トラックシーズンでも存在感を示す。5月の関東インカレの10000メートルでは3位(日本人1位)、27分52秒02の青学記録も樹立した(当時)。
2024年8月、夏合宿の合間に帰省していた黒田選手と、弟の然選手に話を聞いた。
(記者)
「周囲からの評価・見られ方に変化は感じていますか?」
(黒田朝日選手)
「ノーマークの選手だったのが、今は青学のエースという風には見られるようになったかな。嬉しいですね、まさか自分がそういう立ち位置になるとは思っていなかったので。関東インカレのレースは自分としても強くなっていると実感したし、高いレベルで戦えるなと自信がついたレースになりました。」
「自分がしっかり結果を出してチームを引っ張っていくというか、背中を見せていかないといけないのかなという風には思いましたね」
自身を「ノーマークの選手だった」と評したのにとても驚いたが、一方で語ってくれた“エースの自覚”も印象的だった。そして、黒田選手は“あること”も決めていた。
(記者)
「今後は3000メートル障害はもう走らないんでしょうか。」
(黒田朝日選手)
「そうですね。当分もうやらないかなと思います。」
(記者)
「そこに至った理由はあったりするんですか?」
(黒田朝日選手)
「なんとなくですね。ま、もういいかなって思ったので。」
笑顔で語った黒田選手。学生トップクラスの実績があり、1年時にはU20の世界選手権で日の丸もつけた専門種目を「やらない」ことに決めていた。
(記者)
「やっぱり走るのもそうだけど感覚的に考えた?」
(黒田朝日選手)
「ま、そんな感じです」
(記者)
「では今季の目標は?」
(黒田朝日選手)
「チームが駅伝で優勝するために自分ができる最大限の走りをしたいなとは思っているので。本当にチームに貢献できる走りができたらいいなと思います」
大学入学後の2年間で走力の大幅なアップを実感したという黒田選手。日々成長を感じる中で、4月には、兄の背中を追うように弟の然選手も青学に入学していた。














